この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「トライアスロンに挑戦します!」。3月の感門之盟で、51[破]アスロン・ショーコ教室の師範代を終えたばかりの紀平尚子は、高らかに宣言した。約束を果たすべく、5月18日、紀平は東京の青白い島を前に、スタートラインに立った。53期[守]師範による「数寄語り」シリーズ。第三弾は、体育会系師範の紀平尚子が、スイム→バイク→ランのトライアスロン三間連結をレポートします。
白い海へ
「ファーン」、エアフォーンの音が海辺に響き渡る。一斉にスタートする集団は、砂浜を走り、次々に海に入っていく。5m進めばもう足はつかない。そこはバトルだ。密集の中でクロールする手は絡まり合い、足で蹴られ、顔にぶつかる。安全な場所に逃げたくなるも、それを阻むのがゴーグルのレンズだった。レンズは曇り、真っ白な世界に迷い込み、海の中も外も見えやしない。あるのは海の塩辛さと次々に人と衝突する痛みだけ。恐怖が全身を包む。そしてゴーグルを外そうとしたその時、紐がパツンと切れた。このまま棄権という形でフィニッシュとなるのか。
黄色の救世主
黄色のボードに乗ったライフセーバーの声が近くに聞こえる。「ボードを掴んで!」その声に寄り掛かる。ライフセーバーが私のゴーグルを手にし、紐を固結びして返してくれる。「レンズを舐めるんだ!」と教えてくれた。
すぐさまスイムの再開を試みる。海に潜れば海底までが鮮明に見えた。唾にはくもり止め効果があるというわけだ。私は自由に腕を回し、めいっぱい推進力を得て、泳いだ。
1.5kmの距離を辛くも完泳。次なるパートはバイク。新島の応援者の声と海の風がペダルにエナジーを与えてくれる。ひときわ「309~(さんまるきゅ~)」と私のゼッケン番号を言って声援を送るおっちゃんの声が耳に残る。さらに海の景色を目の前に速度45kmで坂道を下る開放的な気分に高揚する。笑顔でゴールテープを切りたい、ガッツポーズをする姿を思い浮かべた。
ラストボスとの闘い
さあ最後はランパート。5kmのコースを2周回。島の太陽が容赦なく降り注ぐ中、ラストボスとの闘いだ。はじめに訪れたのは急傾斜の登り坂。120だった心拍数は2分を経たずして190を越えた。それは運動強度の限界値を示す。どうやったら足が前に進むのか、バイク後の足は主人の言うことを聞いてはくれない。ひたすら感じる苦痛。
下り坂に入れば、右の前ももの筋繊維の一部がビクッとした。即座に裏ももを使うランニングフォームへと修正をかけた。ビクン、今度は裏ももが主人に反攻する。右足に危険を感じたため、左足を頼りにする。作戦を次々に切り替えるしかなかった。足はちっとも早くは動かないが、思考速度を加速させた。攣りながら体を編集するのだ。
「あと一周!」と声援を受ける。「まだ一周もあるの?イヤだ」と心の中で言い返した。永遠にも感じる登り坂、既に周囲の声に応えることはできなかった。下り基調になっても、全身で呼吸をし、一歩一歩進むことだけが勝負だった。あと300m、手の振りを小刻みにしゴールに向けていった。
50m、10m…「紀平選手ゴールです」と場内アナウンスの女性の声が右耳に響いてくる。そして青年がそっとタオルをかけてくれた。青年の振る舞いとタオルの生地がとても優しかった。
レースは想像以上に過酷だった。が、時計をみれば、3時間00分というタイム。目標タイムを達成した初レースとなった。
編集稽古というものは決して楽ではない、しかしありがたいことに、めっぽう楽しい。そう感じるアスロン・ショーコの挑戦だった。
(アイキャッチ:53[守]師範・阿久津健)
紀平尚子
編集的先達:為末大。
アスレ・ショーコにアスロン・ショーコ。自身の名前を冠する教室名をもつ編集学校では希少な体育会系の師範。本業は女子バスケットボールのアスレチックトレーナーで、2023年には全国6連覇を達成した。叩かれて叩かれて心が折れてもめげない、笑顔とガッツの編集体力が持ち味。
レース直前のもぐもぐタイム〜〜54[守]師範が見た53[破]突破講
53[破]師範代がスタートラインへさしかかる。9月29日、第一回「突破講」がZoomで開催された。「突破講」とは、[破]の指導陣が決起する場である。師範代が先駆けて突破しよう・自らの殻を破ろうという意味が込められている […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。