この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

多読ジム出版社コラボ企画第一弾は太田出版! お題本は「それチン」こと、阿部洋一のマンガ『それはただの先輩のチンコ』! エディストチャレンジのエントリーメンバーは、石黒好美、植村真也、大沼友紀、佐藤裕子、鹿間朋子、高宮光江、畑本浩伸、原田淳子、細田陽子、米川青馬の総勢10名。「それチン」をキーブックに、マンガ・新書・文庫の三冊の本をつないでエッセイを書く「DONDEN読み」に挑戦しました。
お気に入りの「分身」と暮らす
制服姿のかわいらしい女の子が、朝に晩に愛でて世話をし、カバンに入れて持ち歩いているのは、好きな男子のチンコである。街や学校の様子は現代と変わらないが、この世界では女子が気に入った男子のチンコを切り取って所有することができる。チンコは、数カ月から数年生き続け、女子はまるでペットの小動物のように愛玩する。物言わぬ分身と語らいし、幸せに浸る少女、気に入った男子のそれをいくつも集める彼女、別れた彼にチンコを返してほしいと迫られる元カノ、落とし物のチンコが我が身にくっついてしまい、男子の性感覚を体験する女子高生。それって恋? 好きな男子の本体はいらないの?
本体と付き合えば、彼は彼女の意のままにはならない。スケジュールが合わない、意見が合わない、彼の家族や友人が気に入らない、彼の行動が勝手に見える、ということがついてまわる。付き合い続けるには、幾多の問題に耐え、折り合っていくことが必要だ。分身ならそんな面倒はないので気楽なのだ。とはいえ、いつまでもここに留まっているわけにもいかない。本体から切り離された分身は、そう長くは生きられないからだ。チンコの再生は無限ではなく、ある日、打ち止めになる日が来る。分身だけをいつまでも愛するわけにはいかないのだった。
男子のほうも分身を女子に奪い取られることで、自身の性を少し離れて客観的に見られるようだ。元カレに分身を返してほしいと迫られた女子や、とくに好きでもなかった男子のチンコにくっつかれてしまった女子は、ソレを男子と同じ地点に立って見つめる。男子のソレに対する思いを聞いて、深く「ワカッタ」感じを得る。『それチン』の思春期女子たちは、男子の本体ともうまく付き合ってゆくらしい未来が暗示される。
人工の町で幻の女に会う
自分にとって不都合なところも含めて相手を受け入れてゆく。そのようにして関係をつづけてゆき、多くは生活を共にし、結婚するということは、結局は恋ではなくなるということではないか。女の子が分身だけを愛でている状況は、一過性の片思いなのかもしれないが、成就しないから恋であり、恋の喜び恋の苦しみという醍醐味があるのだろう。相手のダメなところや勝手なところも飲み込んで、許し合って愛し合うのは、もはや夫婦愛であって恋ではない。
田中優子著『遊郭と日本人』によれば、遊郭は江戸時代のテーマパークであったという。人工的に作られた街は遊女と遊ぶための別世界だった。遊女は、和歌がつくれて、立派な手紙が書けて、楽器も弾けば舞もでき、茶の湯の作法も心得ている。上流階級の娘のような教養を身につけていたのだ。そのような場所で遊ぶには、男のほうも色好みという日本の伝統を知り、そのルールを熟知する必要があった。最高位の花魁ともなれば天女や菩薩のような存在だったという。大袈裟なと思うが、遊女は客の前でものを食べなかったと知って、合点がいった。ふつうの人間ではなかったのだ。遊郭は恋の理想を売っていたというが、『それチン』で女の子が見ようとしなかったものを、江戸の遊郭で男たちは見ようとしなかった。理想の女という幻に会いに通っていたのだ。
恋の秘密を世に問うてしまう
恋は成就したら恋でなくなる。恋多き人は、恋に破れる人である。そのように濃く生きている人のパレードが、俵万智著『あなたと読む恋の歌百首』である。近現代の歌人100人の相聞歌をとりあげて、鑑賞を付している。恋愛の絶頂にある多幸感をうたったものもあれば、別れのあとの寂寥、不倫の恋への畏れ、嫉妬の苦悩など恋模様はさまざまだ。『サラダ記念日』で一世を風靡した俵。30代始めの頃の本が25年ものロングセラーを続けている。
洋服の裏側はどんな宇宙かと脱ぎ捨てられた背広に触れる
(永井陽子)
人間のいのちの奥のはづかしさ滲み來るかもよ君に對(むか)へば
(新井洸)
このあたりは、『それチン』的な感覚ではないだろうか。
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ
(塚本邦雄)
うたがひはかくて深くもなるものかあまりに人をおもひせまりて
(九条武子)
遊びがホドを見失って、ただならないところに足を踏み入れる。遊郭には心中事件もつきものだったと思いだす。
たった31文字で一編の恋物語である。一首はワンシーンだが、読者はその恋物語の全体を想像できる。現代の恋歌は、恋心を相手に伝えるためのものではなく、第三者に読ませるための創作だ。歌人は、恋人との秘密や自分のヒリヒリする気持ちも、もっとすごい遊び=作歌のために対象化し、昇華する。
『それチン』な女の子たちは、そんなに急いでものわかり良くならなくていい。針小な部分を棒大にするたくましい想像力こそ、ヒトを潤す恋の源泉なのだから。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈『それはただの先輩のチンコ』阿部洋一/太田出版
∈『遊郭と日本人』田中優子/講談社現代新書
∈『あなたと読む恋の歌百首』俵万智/文春文庫
⊕ 多読ジムSeason10・春 ⊕
∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ
∈スタジオよーぜふ(浅羽登志也冊師)
原田淳子
編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。