千悩千冊0019夜★「グルメの話題に興味が持てません」20代女性より

2021/04/19(月)10:20
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炭水化物大好きさん(20代・女性)のご相談:
グルメの話題に興味が持てません。
女性が多い部署であることもあってか、職場の同僚は専ら、グルメの話題に夢中です。休みのたびに、人気グルメの行列に並ぶことを生き甲斐にしているような人もいます。私も画像を見せてもらうことがあるのですが、「綺麗だなぁ」とは感じますが、「おいしそう」「食べてみたい」という気持ちは見当たりません。それどころか、食全般に対して興味を持っていない自分を発見してしまいました。食べるといえば、空腹が満たされれば満足です。食に関しては、いっさい不自由を感じることなく育ちました。食べ物にこだわりを持てない自分は、少し変なのでしょうか。自分の中の「おいしそう」を引き出すキッカケをください。

 

サッショー・ミヤコがお応えします


「食べ物へのこだわり」があるのが豊かな恵まれた境涯か、どうか。サッショーも大いに疑問を覚えます。あなたやわたしはたまたま21世紀の日本に生きているので、「今日はイタリアン、明日はカツ丼」というような食生活を送れてしまい、「今夜の献立は何にしよう」と悩むのが平均的主婦像になっています。でも、わたしたちと容貌の近いエスキモーの伝統的な食生活はアザラシ、クジラ、トナカイだったといいます。ほぼ肉オンリー(内臓含む)、生で食べられる間は生食が原則です。テーブルマナーもインスタ映えもない代わりに「完全に平等な分配」が鉄則でした。狩ってきた者が多く食べそうに思うのは、農耕~産業社会を経てきたわたしたちの偏見。狩猟採取の民にとって、食事とは老若男女みんなが均等な分け前に預かり、それを一緒に食べることなのです。

羨ましいからといって、今から狩猟採取の生活に戻ることはできません。わたしたちが生きているのは脱工業の情報化社会です。だからこそ、職場の同僚は「グルメの話題に夢中」になっています。彼女たちが好きなのはおそらく食べ物よりも「食べ物情報」であることに注目してみましょう。「食に不自由なく育った」炭水化物大好きさんの場合も、食べ物に目を背けているのではなく、氾濫する「食べ物情報」、食べ物が与えてくれる意味に興味が持てない状況なのだとお察しします。

 

千悩千冊0019夜
堀江敏幸・角田光代
『私的読食録』(新潮文庫)

 

食や酒のシーンが印象的な書籍を二人の作家が交互に案内するエッセイ集。もちろん「おいしそう」な本がいっぱい紹介されています。でも、それだけじゃない。幼い頃に本の中で味わったはずの食べ物と現実に食べた味のズレ、毎日きまった時間に自宅へ出前させる近所の蕎麦屋の「一つ半」の盛りの「うまい、まづいは別として、うまい」感覚、到来した好物を「お裾分け」する分量に悩む純文学作家…。懐かしくもコミカルでもシリアスでも無意味でもあり得る「食」をめぐる多彩な考察のなかでも、炭水化物大好きさんにまず読んでもらいたいのは、長田弘の『食卓一期一会』を紹介した、堀江さんの「『ス』のはいっていない言葉」という文章です。紺色の活字で記された詩集の冒頭に置かれていたのは「言葉のダシのとりかた」と題された作品。「かつおぶしじゃない/まず言葉を選ぶ。/太くてよく乾いた言葉をえらぶ。」言葉(食材)の扱い方ひとつで変わってくる文章(料理)に接することが、「おいしそう」を引き出すキッカケとなりますよう。

 

◉井ノ上シーザー DUST EYE
「食べ物より情報を好んでいる」。その通りでしょうね。現代社会の息苦しさを感じさせます。
炎天下で走り回った後の、牛乳とアンパンは美味しいものですよ。

 

「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。