千悩千冊0017夜★「大勢の前で言い淀みます」30代男性より

2021/03/12(金)15:20
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デトックスDXさん(30代男性)のご相談:
どうしても大勢の前だと言い淀んでしまうんです。場にもよりますが、あれもこれも言わなきゃと思ってしまうと緊張します。

 

サッショー・ミヤコがお応えします

 どのぐらいの人数から「大勢」が始まるのか。その辺が問題かもしれませんね。

 いろんなメーカーの人たちは、顧客のことを自分たちの会議で「消費者」と呼んでます。「消費者の動向について」考えるとき、彼ら彼女たちのアタマに浮かんでいるのは数字であって、個々の人間の顔ではありません。きっと政治家なんて、もっとそうなんでしょうね。

 というわけで、「大勢」というのは中途半端に<顔>が見える状況です。それぞれの異なる反応、その微妙な差異が気になるため、デトックスDXさんは「言い淀み」を起こしてしまうのでしょう。解決方法としては、聞き手のなかのたった一人に照準を絞り、その人を「笑わせよう」「怒らせよう」「泣かせよう」として、いちいち反応を確かめながら話を進めるか、「大勢」以上の「超・大勢」を相手どって、あらかじめ決めておいた順番に従って自分の言いたいことをぶつけていくかのどちらかになります。

 つまり、昔からよく言われる「目の前の人たちをジャガイモかカボチャだと思う」というのは、あくまでも政治家的なスピーチをするときに有効なだけ、ということですね。

千悩千冊0017夜
石井妙子
『女帝 小池百合子』(文藝春秋)

 

 

サッショーは正直なところ、小池さんという人物にさしたる興味がなく、できれば接触したくないタイプでした。でも、コロナ対策については人並みに知っておきたい。それで、昨春から仕方なく安倍元首相や小池都知事の話をテレビやネットで聞く機会が増えました。そうすると、小池さんは(安倍さんと比べて)頼りになるような気がしてくるんですよ。それは彼女がテレビ語を知り尽くしていて、いかに少ない手持ち材料を膨らませるかの術に長けているためです。彼女のスピーチがどれほど空虚で支離滅裂なものか、本書のあちこちに「文字として」残されたそれが、はっきりと物語ってくれます。よく「人は自分の聞きたいことしか聞かない」と言われますが、断片的なキーワードを乱数表のように並べ、全く逆のことを同じ文脈上で述べる小池スピーチをみると、それが一目瞭然です。「数」になった大衆は、ウソでもクリアなことを聞きたくなる。話し手として歓迎すべきなのは、そのことでありましょう。経歴疑惑にビクともするはず、ないですね。

 

◉井ノ上シーザー DUST EYE
ご相談を読んでいるうちに「想像しているだけのことが多すぎるので、そんなにも困惑しているのである。」「何かについて純粋であると思うことは、そのことを純粋から遠のかせるばかりになる。」というセイゴオ先生の言葉を思い出しました。結局のところ、デトックスDXさんは、不誠実なのです。では、どうするか。言葉で伝えることを諦めて、バク転を習得しましょう。大勢の前でバク転が成功しても失敗しても、後付けの理由で語れます。バク転成否の偶然の結果に、即興で語ること。そちらの緊張感に震えるほうが、より誠実ではないでしょうか。

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。