この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

カッパッバさん(40代女性)のご相談:
「自分」が好きではありません。
難病による、メイクや整形などでもカバーできない風貌にコンプレックスがあるからですが、その風貌を差しひいても好きだと言える部分がありません。それもやむを得ないと諦めて生きています。
しかしながら、世の中の風潮としては自分のことが好きじゃないとダメのようです。
周りからは「自分を愛せない人は他人を愛せないよ」「弱みは強みになる」などと諭されます。
正直うんざりです。
女性にとって見た目の弱みは強みになんかならない、と思ってますし「あなたたちに何がわかるの?」とイラッとします。
特に「その状態に甘えてる」などというヤカラについては「あなたがこの病気になってみれば??」とさえ思います。
結局皆美しいものが好きでしょうに。
世の中の人は皆、どうして自分が好きでいられるんでしょうか。
サッショー・ミヤコがお応えします
「自分が好きではない」と言い切るカッパッバさんの言葉に大変な力強さを感じました。10代・20代の頃は醜形恐怖に悩む人も多いと聞きますが、40代あたりになると自分に与えられた与件に対して妥協したり、使いこなしたり、いわゆる大人の対応をする人が多いなか、あなたはそうではありません。ご病気のせいとはいえ風貌コンプレックスを抱え、さらに周囲の方からのアドバイスにうんざりする精神の孤高さにリスペクトを払います。
でも、そもそも世の中の人は皆、自分が好きなんでしょうか? サッショーにはそうとは思えません。ただ自分のご機嫌を取るのが好きな人と苦手な人がいるようだ、と周囲を見ていると、つくづくそう思います。世の中には、本当に親身になってアドバイスくれる人だけでなく、貧困やコンプレックス・不安などにつけ込んでくるヤカラも多いものです。アトピーだからというので近づいてくる人の善意とビジネスの両方にほとほと疲れた、という話も聞いたことがあります。
千悩千冊0016夜
ジャック・ロンドン、白石侑光訳
『白い牙』(新潮文庫)
カッパッバさんの風貌は、いわばスティグマ(聖痕)です。ここまで生き抜いてくるだけで大変だったでしょう。それはあなたが選ばれた人であって、並の人間とは違う証拠です。甘っちょろい一般ピープルが命題とする「自分を好きになる」とかではなく、自分の王座に座り直り、人とは違う存在がどのように強く美しく生きていけるかを教えてくれる書籍を読みましょう。本書は、その代表格です。「白い牙(ホワイト・ファング)」と呼ばれた孤独な灰色オオカミがいかに自己の遺伝的素材を鍛え上げ、環境にアフォードされて肉体・精神ともに成長していったか。人間界の掟よりはるかにきびしい荒野の世界に身を置いて、ご自身の本能と野性をさらに研ぎ澄ませていっていただきたいと願います。
◉井ノ上シーザー DUST EYE
相談というよりも吐露ですね。対処策はあなたの相談文にあります。自分を好きにならなくてもいいのです。ですが「自分探し」とか「アイデンティティ」とかいった気持ち悪い、近代的な言説は、同調を強いつつ、わたしたちに絡みつきます。
ある小説に「エスキモーとエスキモー犬は仲良しではない」と書かれてました。エスキモー犬は鞭を振るわれ、憎しみを宿しながらそりを引く。あなたを含むわたしたちは、“同調圧力”に繋がれ、鞭打たれ、走らされている犬です。自己愛を求める世間の圧力が、わたしたちを縛ります。呪縛を解くために、何かの対象に没頭することで「自分外し」を試みてはいかがでしょうか。フェチズムなんかいいですね。その果てに、同調圧力とは無縁な“野生の気高さ”が立ち現われそうです。
※アイキャッチ画像はウィキペディアのパブリックドメインからです。
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。