この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

ヨシダシゲルさん(40代男性)のご相談:
大日本武徳会創始者による合気道口伝書を師匠とともに解読している最中の私ですが、「無欲」を求めています。「無欲になりたいと願うこと自体が、最大の欲望だ」というジレンマに悩みは深まるばかりです。どうすればいいでしょうか。
サッショー・ミヤコがお応えします
お待たせしました。仏教をはじめいろいろな宗教が求めてきた「無欲」、一冊の本で解決しようとは、なんと不逞の輩でしょう。
エディットツアーでは佐々木局長から「勝負にこだわってしまうときはステージを変える」という松岡校長譲りのアドバイスがありましたね。サッショーからは捨て鉢な「いっそ欲にまみれる本を読み倒してみる」というお返事で急場をしのぎました。「大欲は無欲に似たり」ということわざが頭にあったのでしょう。このことわざ、実は「(天下を取りたいぐらい)大きな欲望を持っている人間は、目先の欲に目をくらまされたりしない」といった意味合いで、「無欲なんてありえないよ」とカウンターパンチを食らわすもののようです。
zoomとはいえせっかく対面していたのに、「何のために無欲になりたいのか」という質問をしそびれました。無欲の目的を問うのも矛盾してるようですが、一つは武道などで言われる「無心の境地」に入りたい、もう一つは煩悩を捨てる無私無我無欲の境地に至りたいという局面が考えられます。両方向で考えてみましょう。
千悩千冊0008夜
ジョッシュ・ウェイツキン
『習得への情熱』みすず書房
エディトリアル・ディレクター松岡正剛
『アート・ジャパネスク 09禅と水墨』講談社
最初の一冊は、チェスの天才少年から中国武道へ、「無心の境地」≒ゾーンとも言われる状況に入るための方法を模索した青年の話です。チェスというロジカルの極みと太極拳のような全身の感覚を研ぎ澄まして臨む身体技法。その奥に共通する道か海のようなものが広がっていることをヨシダさんならすぐお気づきでしょう。
二冊目は、禅の本は結構読んでおられそうな雰囲気を感じて、変化球として投げてみました。「二人の鈴木」のように日本語はおろか英語でさえ理解できる禅もいいものですが、禅僧が残した書画や庭を通じて無欲に分け入っていく方法もあります。読む「座禅」と言いたくなる一冊です。
無欲になれたら何が欲しい?
◉井ノ上シーザー DUST EYE
例えば「出世したい」といった欲を捨て去りたいのであれば、とことん出世をすることをお勧めします。
会社員であればトップまで上り詰めてみると、欲望は必要ではない、という域に入れます。そのために、「実績を上げる」「実力者に媚びる」「ライバルを蹴落とす」といった活動を、ストイックなまでに一生懸命にする必要があります。仮に会社のトップになったとしても、上には上がいます。今度は経団連会長を目指せばいいのです。そのために、自分の会社の時価総額を上げる、マスコミを味方にしてよいイメージを作る、他の優良企業を片っ端から買収する、といった真摯な努力をすることになるでしょう。
同様に、カネが欲しかったら、相場師として血尿が出るぐらいのリスクテイクをしてみたりする。
カネと名誉があれば、大抵の欲望は満たせるでしょう。そのあげくに「あー、つまんねー」と言える域に達したら、あなたの目指す「無欲」は目前にあるのです。
「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。