この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「連句」は、個人というものが(絶対なるものではなく)前後の関係で変化するものだということを、方法化した文芸である。間庵・庵主の田中優子さんは、以下の句を例として、そのように<連>や「連句」のあり方を紹介されたことがある。
苔ながら花に並ぶる手水鉢 芭蕉
ひとり直りし今朝の腹立ち 去来
たとえば、この芭蕉と去来の句からは、手水鉢に花かと見まがうきれいな苔が見えて「きれいだ」と思っているうちに、腹立ちがおさまってきた、という物語になる。
苔ながら花に並ぶる手水鉢 芭蕉
ひとり直りし今朝の腹立ち 去来
いちどきに二日の物も食うて置き 凡兆
ところが、このように凡兆の句がその後につづくと、腹立ちがおさまった理由が、苔の美しさではなく、大食いのせいであることになる。
連句は、まず五・七・五の発句(後に俳句になる)があり、ほかの人が連想して七・七の脇句を第2句としてつづける。そこに別の人が五・七・五の第3句をつづけ、合計36句連なるのが定型だが、長いものでは100句までになる。参加する人は連衆、メモを取る人が執筆、リーダーは宗匠と呼ばれる。宗匠はイシスの師範代さながら、それぞれの個性を見出して活かす世話役をつとめる。場にお題を投げかける。(突破された方は、連句を[遊]風韻講座で遊ばれたい)
田中優子さんは、<連>の特質として、世話役はいるがリーダーはいない、常に何かを創造している、存続を目的としない、個人がたくさんの名前をもつなど、以下の10個を挙げている。人と同じにはならないけれど、人と無関係にはならない。大集団は組まないけれど、個々のつながりは大事にする。江戸の日本人は、そういう場に、自由というものを発見した。
<連>の特質
① 適正規模を保っている。
② 宗匠(世話役)はいるが強力なリーダーはいない。
③ 金銭がかかわらない。
④ 常に何かを創造している。
⑤ 人や他のグループに開かれている。
⑥ 多様で豊かな情報を受け取っている。
⑦ 存続を目的としない。
⑧ 人に同一化せず、人と無関係にもならない。
⑨ 様々な年齢、性、階層、職業が混じっている。
⑩ 多名である。個人のなかの複数のわたし。
EEL便#002でご紹介した、丸善雄松堂と編集工学研究所の新本棚サービスを、「ほんのれん」という名称にした。<連>のあり方に肖った。
「今考えたい問い」と「今こそ読みたい本」を毎月お届けするものだが、対話によって一人ひとりのさまざまな見方や能力(仕事にすぐには役に立ちそうもないもの、も大事にしたい)が見いだされ、組み合わされることを目指す。
コロナ禍で、人が集まる理由が問いなおされている。「ほんのれん」は、問いと本がきっかけとなって、人と人が集い創発する知を、企業のオフィス内や地域のコミュニティスペースやイノベーションハブに育んでいきたい。サービスのリリースは、2023年1月を予定している。
[編工研界隈の動向を届ける橋本参丞のEEL便]
//つづく//
橋本英人
函館の漁師の子どもとは思えない甘いマスクの持ち主。師範代時代の教室名「天然ドリーム」は橋本のタフな天然さとチャーミングな鈍感力を象徴している。編集工学研究所主任研究員。イシス編集学校参丞。
かつて校長は、「”始末”とは、終わりのことですが、エンディングとビギニングは一緒だということ。歌舞伎役者が最後に舞いたい踊りは、自分を目覚めさせる踊りかもしれないわけで、終わりのメッセージとは、何か始まりを感じさせるもの […]
「日本流(経営)の本質は、異質なものを編集する力だったはずだ。ーーー異質なデータを価値ある情報に編集する知恵がこれからの勝負となる。それをセマンティックプラットフォーマーと呼んでいる。」 一橋大学ビジネスス […]
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赤坂から、赤堤へ。 2012年12月、EELは6万冊の本と一緒に、赤坂から赤堤(最寄りが豪徳寺駅)へと引っ越しをした。知の移転を行った。 そこからちょうど10年、校長への献本や千夜本や、EELプロジェクト関 […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。