【Portrait Shot #02】高本沙耶が撮られた背中!

2024/04/28(日)08:05
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シリーズ化が決定しました!
倶楽部撮家でもおなじみの写真家・後藤由加里がイシス編集学校に関わる人たちをモデルにして撮影をしていく企画です。後藤はライフワークとして、松岡正剛を撮影し続けていますが、並行して昨年より新しいモデルを発掘していくことをスタートさせました。第一弾では、遊刊エディスト副編集長の金宗代の瞬発力ある身体表現を撮りましたが、第二弾は花伝所の錬成師範を務め、ドローン系の会社にも勤務する、高本沙耶をモデルに起用しました。感門之盟で登壇する高本のスラリとした立ち姿に見惚れて、次はこの人と密かにあたためていたようです。


 

撮影は2024年3月某日、代々木のフォトスタジオで行われた。撮影で大事なのは、互いの呼吸を合わせること、信頼関係を結ぶこと。スタジオに入る前、近くのカフェでざっくばらんに編集学校のこと、家族のこと、互いのバックグラウンドについて交わし合い距離を縮めていった。それでも、いざスタジオに入ると高本は「モデルなんて、ほんまに初めてなんですよ。どうしよう、めっちゃ恥ずかしい」と漏らした。高本の緊張をよそに後藤は淡々と準備を進めていった。スタジオは撮影のモードだけが充満していく。

 

ここからは、高本のポートレートショットを記録と合わせてご覧いただきたい。

 

白ホリの前の椅子に腰かけるドレスを纏った高本。後藤のオーダーはあえて笑顔を封印すること。高本の表情から笑顔が消え、緊張感と共にクールさが際立っていく。ポーズを変えることも、すんなりとやってのける高本、得意を封印することが新しい編集を起動させることもあるのだ。


シーンごとに写真をチェックしながら、感想を交わし合う二人。お気に入りのTシャツ「虚実の皮膜」を着た写真を見て思わず笑顔がこぼれる高本。虚実皮膜は花伝所時代に学んだ方法日本のキーワードであり、松尾芭蕉の「虚に居て実を行ふべし」に通じている。撮影もまた虚に遊ぶようなものである。

 

後藤による、この日のベストショット。

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に撮影は終了。高本は高揚しながら、「後藤さんが集中して撮影している姿を見ていたら、もう恥ずかしいなんて言ってられないと思って、集中できました」と語った。

その日のうちに後藤から写真が送られ、「いやあ、別人ですね」と高本は驚いた。どんな「わたし」が潜んでいるのか、本人も知らなかった「たくさんの私」が開いていく、マジカルな体験が撮影には起きるのだ。


写真 後藤由加里
文・記録写真 林朝恵

 

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  • 林朝恵

    編集的先達:ウディ・アレン。「あいだ」と「らしさ」の相互編集の達人、くすぐりポイントを見つけるとニヤリと笑う。NYへ映画留学後、千人の外国人講師の人事に。花伝所の花目付、倶楽部撮家で撮影・編集とマルチロールで進行中。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。