元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた #09――「ひらり」

2025/02/26(水)08:30
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 [守]の教室から聞こえてくる「声」がある。家庭の中には稽古から漏れ出してくる「音」がある。微かな声と音に耳を澄ませるのは、秋に開講したイシス編集学校の基本コース[守]に、10代の息子を送り込んだ「元師範代の母」だ。

 わが子は何かを見つけるだろうか。それよりついて行けるだろうか。母と同じように楽しんでくれるだろうか。不安と期待を両手いっぱいに抱えながら、わが子とわが子の背中越しに見える稽古模様を綴る新連載、題して【元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた】。第9回目のオノマトペは、「ひらり」。ついにその日を迎えた。


【ひらり】

(1)身のこなしが軽い様子。

(2)紙や布などの薄い物が一度軽く翻る様子。

(3)紙や花びらなどが一枚、散り落ちたようにある様子。

『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(山口仲美/講談社)

 

 長男には2月7日から週末にかけて、部活動の遠征が決まっていた。土日の遠征は度々あるのでいつものことだが、今回は遠征中に卒門日(全番回答提出締切日)を迎えることになる。長男の全番回答は、卒門3日前がリミットとなった。

 

 リミットの日の夕方、母が仕事から家へ帰るとお題に向き合う長男がいた。母が部屋へ入ると、これまでにないイライラをぶつけてくる。わからないことへの怒りというのは、相当なものだ。しかし簡単に分かっても困る。なんせ、038番は[守]の中の[離]だ。詳しいことは書けないが、[離]を体験すればわかる。長男のイライラも妥当な反応と思い、投げ出さないことを母は評価した。わからなくても、未知なものへ3A(アフォーダンス・アナロジー・アブダクション)を働かせて分け入るという方法を、もう手にしている。母がいなければ、黙ってお題に向き合ったのかもしれないと思いつつ、この日は最後の回答に付き合うことにした。

 

 [守]基本コース最後のお題【038番:カラオケ編集八段錦】では、歌詞を使って【編集八段錦】を学ぶ。【編集八段錦】とは、情報生命が形を得ながら自己組織化を起こす流れを8つの段階にステージングしたものだ。松岡校長は著書『知の編集術』p197で、「これまでの編集術の流れのエキスのすべてが情報学的な意味で集中されている」と明かしている。

 

 曲はすでに決まっていた。back numberの『高嶺の花子さん』だ。歌詞も暗記しているという。なんでも、恋するアオハル男子にはグッとくる曲らしい。歌いながらあっという間に歌詞を打ち込んだ後は、わからないとグダグダ言っているので、とりあえず8つに分節させる。そして、仮留めで分節した8つの歌詞パートを八段錦の各パートと照合させていく。その最中に、歌詞の分節も少しだけ動いた。

 

 長男は「ちゃんとわかりやすく説明して」と、相変わらず手っ取り早くわかりたいようだった。母は多くは語らず『知の編集術』を音読する。何度も「はぁ? ってことは……、どう言うこと?」と言いながら、教室仲間の回答も共読しはじめた。

 

 わからなさにまとわりつかれると身動きがとれなくなる。

 

 長男は小学生の頃、タグラグビーが大の得意だった。タグラグビーとは、ラグビーのようにだ円形のボールを持って相手ゴールを目指すのだが、腰に2本のひらひらしたタグを付け、取ったり取られたりしながらコートを自由自在に駆け回るスポーツだ。タグを取られないようヒラリと相手をすり抜けたように、わからなさをかわして進む柔軟な動きも大切だ。仮留めしながら八段錦と歌詞は次のステージへ進み、そして戻るを繰り返す。途中、母が席をはずした時は、ネットゲームという寄り道も忘れなかった。

 

 休憩を挟んで食事を済ませた後は、次の日からの遠征準備(2泊3日)も同時並行する。デスクトップパソコンは開いたまま、キャリーケースに着替えや洗面道具、ユニホームなどを入れ、「今回の一発芸どうしよう」と、遠征先での夜のミーティング時に毎回行われる一発芸のネタも気にしていた。彼の周りには複数のことが同時に存在している。

 

「これ(エディットカフェ)ってずっとみれるの?」

「うん、ずっと。おじさんになってもみられるよ。14歳の自分はこんなこと考えていたのかって振り返ってね」

「じゃあ、しっかりやろっ」

 

 ふたたびパソコンの前に座ると、急にギアが上がった。さっきまで、これまで学んだ編集の型など覚えているわけがないとダダをこねていたのに、歌詞に使われている型を一生懸命取り出そうとする。編集の型は単独で使われているわけではないことにも、気づいているようだ。歌詞の中で使われている型がもっとないかと、これまでを振り返る。

 

「ないものって、みんなの回答にも書いていたけど、何?」

「部屋にないものだよ」

「あー……。この歌詞にめっちゃあるやん」

 

「やわらかい分類って?」

「テリーヌとか豆腐とか覚えてる?」

「覚えてるけど、何だったか忘れた」

「あははは」

 

 何だったか忘れた、けど覚えているという感覚でいい。38番は、確かに彼の身体に通っている。

 

 明日のことも考えて時計を見るように促した時、BPTがわからないと言いながら、回答を投稿するためにマクラを書きはじめた。そして、ねらってか否かはわからないが、2月7日、00:00ちょうどに038番の回答を投稿した。教室仲間の回答を共読している時に発言ツリーを見ながら「038番の出題、00:00ちょうどじゃん」と言っていたことを思い出す。「ちょうど」は、彼なりの師範代への「返」だったのかもしれない。

 

 4ヶ月前にパソコンの前で右往左往していた長男は、気づけばひらりと卒門した。門を掠めたその時から、確固たるB(ベース)がひらかれる。Bから、母の手の届かぬ遠くのT(ターゲット)へ、息子はどんなP(プロフィール)を描き続けるのだろう。

(文)元・師範代の母

 

◇元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた◇

#01――かちゃかちゃ

#02――ちくたく

#03――さくっ

#04――のんびり

#05――うんうん

#06――いらいら

#07――ガタンゴトン

#08――びしゃ

#09――ひらり

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。