この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

[守]の教室から聞こえてくる「声」がある。家庭の中には稽古から漏れ出してくる「音」がある。微かな声と音に耳を澄ませるのは、今秋開講したイシス編集学校の基本コース[守]に、10代の息子を送り込んだ「元師範代の母」だ。
わが子は何かを見つけるだろうか。それよりついて行けるだろうか。母と同じように楽しんでくれるだろうか。不安と期待を両手いっぱいに抱えながら、わが子とわが子の背中越しに見える稽古模様を綴る新連載、題して【元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた】。第3回の「音」は「さくっ」。どんな稽古模様があったのでしょう。
【さくっ】
手際よく簡素な様子。
『「言いたいこと」から引けるオノマトペ辞典』(西谷裕子/東京堂出版)
週末、子どもは、もうそろそろ寝る時間。元・師範代の母の家では、やたら「かちゃかちゃ」とパソコンの音がする。その音の発信源は他でもない、54[守]に入門し順調に回答をしている中学生の息子である。しかし、この「かちゃかちゃ」は回答をしている音ではない。
「お題はやった?」
「やったよ。011番は、興味あった。それよりお母さん、こっち来て、見て。はやく」
母は編集稽古の会話を続けさせてくれないことに、多少不満を抱きつつ、長男のパソコン画面を覗く。そこには、長男自作のコンピューターゲームがあった。冒頭のかちゃかちゃという音は、彼が自分の作ったゲームを試している音だった。
「学校でも友達にやってもらったんだ」
「タブレットで?」
「うん」
「なんて、感想もらったの?」
「めっちゃ面白いって」
「ふーん」
「やってやって」
長男は、最近Unityというゲーム制作プラットフォームで、ゲームを作ることにはまっている。数日前、彼が作ったゲームをやらされた母は、あまりの操作の難しさに「つまんない」と、元・師範代とは思えぬ言葉でバッサリと切り捨ててしまっていた。しかし、彼はめげずに編集を続けていた。
長男が作っているゲームは対戦ゲームである。画面上に設置されたフィールドに上空から2つの駒が降りてきて、互いにぶつかりながら相手の駒を破壊したりフィールドの外へ落とすゲームだ。実世界では、ケンカゴマ → ベイゴマ → ベイブレード というように、呼び名を変遷している。
ちなみに、今回長男が興味があったという【011番:ジャンケン三段跳び】は、旅や遊びといった言葉から【三間連結】と【三位一体】を取り出すお題だ。
【三間連結】とは、先ほどの ケンカゴマ → ベイゴマ → ベイブレード のように、同じ【地(切り口)】を持つ情報が等間隔の順番になることである。お題文の中では、ホップ → ステップ → ジャンプ で説明している。
【三位一体】とは、松・竹・梅のような、同じ【地(切り口)】のもと、同じ力で引き合う3つの情報のことである。ケンカゴマでいえば、木・金属・プラスチックという代表的な3つの素材が挙げられるだろう。いずれも、情報と情報とを関係づけるときの基本の「型」だ。
「ところで、011番はなんで興味があったの?」
「何も考えないでできたから」
「(んな、ばかな)……ちなみにどんな回答したん?」
「忘れた」
「(なんだとぉおおおお)」
はぁ〜。
パソコンに向かっている長男に、はぐらかされることはよくあるので、時間をおいて話を聞くことにする。しかし母としては、もっと編集稽古の会話がしたい。彼から出てくる言葉は母の知らないゲームやパソコン用語がほとんどだ。知らない言葉は宇宙語のように聞こえる。なんか悔しいので同じ【地】を共有できる話題をふってみた。
「ゲーム作りの三位一体は?」
「えー、めんどくさがらない・モチベーションを上げる・積極的にしらべる。かな」
さくっと即答ですか。むむむ。おぬしが現在、気をつけていることだな。「モチベーションを上げる」は具体的にどんなことか、母も参考にしたいぞ。
「じゃあ、【三間連結】は?」
「構造 → プログラミング → テスト」
これまたさくっと。ふむふむ。ゲーム作りスタートから、完成前(長男にとっての現状)までの三間連結だな。それにしてもα世代は、日本語とカタカナ英語が入り混ざっているようだ。回答の揃いの悪さではなく、いかに、日常でこれらの言葉が頻繁に飛び交っているのかがわかる。と、心の中で指南をする元・師範代の母であった。どうやら、お題の意味はわかっているらしい。
長男は、耳と口は母との会話を続け、手と目はゲーム制作を続けていた。微調整を終えると、今度はゲームスタート画面のデザインをいじり始めた。数分前に「そのスタート画面、どうにかならないの」と、これまた元・師範代とは思えぬ母の言葉を気にしていたらしい。
「えっと、色は赤がいいから……、それからお母さんが言っていたように、フォントも大事だね。めっちゃイメージ変わるー。これかっこいい」
「うんうん。いいじゃん」
「でしょ〜。じゃあ、ここも」
「……(あれ?)」
さくっ、さくっ。
――物事が前に進む音がする――
お題の回答に対して、何も考えないでできたとか、忘れたとか、回答目安時間を使い切らないとか、元・師範代の母として気になることはたくさんある。だけど、何だろう。この軽やかな感じは。まずは、置いてみる。まずは、答えてみる。まずは、やってみる。彼は常に動いているではないか。大きなジャンプや逸脱はなくても、そうやって、動かし続けることは、情報が生きている証だ。編集稽古において一番大事なことではないか。
何だか今日は、我が子にカマエを、教えてもらっているような気がするな。
(文)元・師範代の母
◇元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた◇
#03――さくっ(現在の記事)
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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2025-06-10
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2025-06-10
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2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。