むすんで、つないで――福地恵理のISIS wave #46

2025/03/28(金)08:30
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福地恵理さんはウルフル弘法教室師範代として、54[守]を走り抜けたばかりだ。そして今、福地さんの胸に去来したものとは何か。


イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
イシス修了生によるエッセイ「ISIS wave」。今回は、福地さんの「決意」をお届けします。

 

■■感門之盟で誓ったこと

 

2025年3月15日、師範代として迎えた感門之盟で、わたしは着物を纏った。
黒地に、流れるような直線。決められた道のようにも見えるが、まっすぐではない。
揺らぎ、交わり、逸れながら、どこか自由に模様を描いている。わたしの歩んできた道のようだった。学衆として迎えた一年前の感門では、「編集を止めない」と誓った。学び続けること、問い続けること。その思いが、わたしを動かし、気づけばこの場に立っていた。

▲感門之盟「卒門式」で挨拶する福地師範代。後ろで見守るのは北條玲子師範。


そしてこの日はもうひとつの節目でもあった。偶然にも、起業してちょうど1年を迎えた日だった。社会にでて仕事をするたび、関係が生まれるたび、わたしには肩書きができた。「〇〇の××さん」「○○部の○○担当」。それは、社会の中での役割を示すものだった。けれど、与えられるたびに、わたしの意志とは関係なく、輪郭が決められていくような気もしていた。そんなとき、編集学校で取り組んだ《たくさんのわたし》に出会うお題。


肩書きや立場という属性を超え、自分の好みや価値観で「わたし」を自由に語ることができる。

私は感情が揺れ動く空の雲である。
私は1日3回通うほどのアフタヌーンティー好きである。
私は色で表現するならばブルーである。

わたしの学衆時代の回答だ。甥っ子にとっては”お馬さん”になるし、仕事関係者から見れば、出張ばかりのジョブマニアだ。わたしを表す言葉はこんなにもある。そんな断片を拾い集めるうちに、名付けられる前の、もっと自由な「わたし」が見えてきた。


広報、IR、秘書。思い返せば、様々な仕事を通じて、わたしは人と人、情報と文脈、点在するものを結び、新たな関係を編み直してきた。――そうか、わたしはずっと結んできたのか。そう気づいたとき、「yuiya(ユイヤ)」という会社の名前が生まれた。
起業した会社には、ただの記号ではなく、役割を生み、場をつくり、関係を動かす社名をつけたかった。誰かと誰か、何かと何かをつなぎ、新たな意味を編み出していく「結ぶ屋」でありたい。だからこそ、既存の言葉を当てはめるのではなく、自分で編集したのだ。社名を決めたのは、師範代になる前のこと。けれど、この名前を持つことで、師範代としての活動も導かれた気がする。ユイヤとして、学びの場をつなぎ、関係を紡ぎ、互いの思考を編む。師範代としてのわたしの役割は、まさに「結ぶ」ことそのものだった。

▲福地さんが1年前に起業した「yuiya(ユイヤ)」。


紡いできた日々は、わたしの道になる。1本の線は、絡まり、ねじれ、ときにほつれながらも、それでも続いていく。新しい糸が加われば、また新たな模様が生まれる。

「たくさんのわたしに出会いなおした今の自分を、もっと楽しんでください」

感門の場で学衆に伝えたこの言葉は、過去のわたし自身にも向けたものだったのかもしれない。どんな風が吹こうとも、そのたびに編みなおせばいい。ほどいて、撚って、また歩く。新しい風が吹くその先へ、自ら歩んでいけるわたしでありたい。どこかで、まだ見ぬ誰かと、あるいは新しい「わたし」と、また出会うために。

「わたし」は、出会った人の数だけ増えていきます。エディティングモデルの交換をした途端、目の前の他者(非自己)は「わたし」となって、それまでのわたしを拡張していくからです。だから「わたし」は、誰にだってなれる。何だってできる。福地恵理さんの起業と師範代活動は、そのことを証明してくれました。「わたし」はまだまだ増えていきます。


文/福地恵理(51[守]シビルきびる教室、51[破]マラルメ五七五教室)
写真/福井千裕(アイキャッチ)、後藤由加里(文中写真)

編集/角山祥道

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。