この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

守の38番のお題を全部、落語仕立てでフィードバックした学衆がいる。54[守]で学んだ尾崎公洋さんだ。なぜ落語? そのモチベーションはどこから?
イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
イシス修了生によるエッセイ「ISIS wave」。今回は尾崎公洋さんの[守]×落語体験をお送りします。
■■イシスは落語作家養成講座だった?
なんでワイの噺が選ばれへんねん。
落研の先輩に誘われ、実に40年ぶりに人前で落語を演ることになって、感覚を取り戻そうと通い始めた落語作家入門講座。受講生の作品の中から一つだけ選ばれてプロの落語家が実演してくれる。絶対自分の噺が選ばれると思っていた僕は不満げな顔をして教室を出た。
翌週、選ばれた作品の実演を聞いて打ちのめされた。見事に落語世界が繰り広げられる。気になるところはことごとく実演する落語家によっていい感じに変えられていた。クスグリも追加され、キャラは見事に立っている。
自分の噺を読み返したら違いは歴然だ。落語家がやりたくなる魅力に欠けているのだ。手も加えにくい。選ばれなかったことがよくわかる。
失意のままISISの門を叩いた。
次から次へとお題がワンコそばのようにやってくる。《地と図》を入れ替える? そうだ、噺は落語家の視点でも書くべきだ。自分の噺にはシソーラスの発展が足りない。メタファーの展開が弱い。ベースを明確にし、ターゲット(おち)に向けていかにプロフィールを展開していくのか。分岐させろ、対比させろ、らしさや匂いは身に纏いながら、とんでもないところまで飛躍せよ。常識サイドのシステムにアナロジーを効かせ、貧乏長屋のキー公や船場の若旦那や色街のお姐さんが生きる世界と、つまらぬ我々の常識世界との編集的対称性を発見せよ。
なんだ、ISISって落語作家養成講座だったのか。『知の編集術』の「キーノートエディティング」には会話型の要約編集が載っている。ならばと、お題を元ネタにした「復習落語」を勧学会に投稿してみた。師範代が面白がってくれる。学衆のみんなから声がかかると嬉しい。師範まで期待してるよとコメントを入れてくれた。
元々調子に乗るタイプだ。お題の回答だけでも辛いのに、次々復習落語も投稿する。師範代から最後まで行けと叱咤激励が来る。自分の書いた落語をプロが自在に演じてくれる日を思い描きながら卒門を迎えた。
以前の自分の作品のどこがあかんか、わかるようにはなっている。今度の作品の方がよくなっているのもわかる。しかし、自分がまだまだであることもこれまで以上によくわかっている。しかし、僕はまだまだ成長していく。編集を人生する方法を手に入れつつあるのだから。今年の落語台本大賞に落ちてもきっと僕は落ち込まない。来年にはもっと面白いものを自分は書けるだろうから。
▲落語を披露する「須波気亭銭魔」こと尾崎さん。
文・写真/尾崎公洋(54[守]やぶこぎ博物教室)
編集/角山祥道
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。 さて皆 […]
コミュニケーションデザイン&コンサルティングを手がけるenkuu株式会社を2020年に立ち上げた北岡久乃さん。2024年秋、夫婦揃ってイシス編集学校の門を叩いた。北岡さんが編集稽古を経たあとに気づいたこととは? イシスの […]
目に見えない物の向こうに――仲田恭平のISIS wave #52
イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。 仲田恭平さんはある日、松岡正剛のYouTube動画を目にする。その偶然からイシス編集学校に入門した仲田さんは、稽古を楽しむにつれ、や […]
『知の編集工学』にいざなわれて――沖野和雄のISIS wave #51
毎日の仕事は、「見方」と「アプローチ」次第で、いかようにも変わる。そこに内在する方法に気づいたのが、沖野和雄さんだ。イシス編集学校での学びが、沖野さんを大きく変えたのだ。 イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変 […]
松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。 歴 […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。