この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
医師という激務にありながら、2022年の春に15季[離]に飛び込んだ松林昌平さんは、[離]を終えた今、自身の変化に驚いているという。いったいその変化とは。
イシス受講生が編集的日常を書き下ろすエッセイシリーズ。「ISIS wave」の26回目をお届けします。
■■編集可能な「わたし」と「未来」
同じ教室で学んだ仲間や師範代が、「いまの私」を知ったら、きっと驚くだろう。[守][破][離]のどの学びの場でも、すぐに腹を立てていた私が、いまの職場では、「利害調整係」として機能していることに。
最近は、松岡正剛校長が、[離]の最終週に言われていたことをよく思い出す。
「きっとものすごく力がついているはずです。この[離]の体験は必ず報われます。どこに成果があらわれるか、明日か、年が明けてからか、1年後か、3年後か、大いに楽しみにしていてほしい」
私がいちばん変わったところは、それぞれ矛盾した「たくさんの私」を受け入れたところだ。以前は首尾一貫、理路整然としていなければならないと思い込んでいた。今は辻褄が合わなくても、それはそれで全部自分だと受け入れている。そして何より相手を論破しなくなった。他人の非合理性や非効率性を許せるようになったからだ。
私は長崎の病院で病棟医長として、医者と看護師等のコメディカルの間を取りなす係をしている。普段は片手間でホイホイ調整できているのだが、先日久しぶりに危機が訪れた。
コロナ禍が過ぎた病院はどこも経営状態が悪化している。そこで浮上したのが、病棟再編だ。簡単に言えば、病床を埋められない診療科の代わりに、病床を埋められそうな他の診療科が空いてる病棟に患者を入れるということである。病院のトップから、ほとんど命令的な形で私に来た。今までうまく回っていたシステムを強引に変えざるを得なかった。セパレーション(出発)だ。簡単な話に思えるが、実際に動く医者や看護師はみんな反対した。皆それぞれ自分の考えやこれまでの慣習を「信念」だと思い込んでいるからだ。
そこで私は看護師長や各グループの医者の話を何度も繰り返し聞いた。イニシエーション(試練)だ。結果、普段気にしないトイレの配置や物置の位置、各グループのシステム等を知ることができた。限られた時間の中、交わし合いによって物語を編んでいく。円満解決とは言えないが、多数決で押し切ることなくできた。また看護師長達と仲良くなり、仕事がやりやすくなった。リターン(帰還)だ。旅立ち、試練を経て、戻ってくる。この道筋を考えることは、物語編集術に似ている。
「たくさんの私」の中に新しい私を入れることにも、躊躇しなくなった。今までの私は、後輩を厳しく指導してきた。だが実際は効果があったとは言い難い。後輩が何も変わらないなら、私自身が変わればいい。
アンパンマンの必殺技アンパンチは、岩をも砕き、ばいきんまんを一撃で吹っ飛ばす。正義のパンチだ。「正しさ」はひとつ、と信じていた私は、アンパンチを繰り出すごとく、後輩に「私の信じる正しさ」の実行をバンバン強いた。例えば手術の時に前もって勉強していなかったら、叱り飛ばし、何ひとつさせなかった。
でも「正しさ」はひとつじゃないと、今の私は知っている。
だからパンチのかわりに、顔のパンをちぎって与えている。やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めるという方法だ。指導になっているかわからないけれど、効果はあがった。
他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる。そしていくつになっても変えられる。
▲笑顔で勤務中の松林医師。
文・写真/松林昌平(47[守]「象」徴ドミトリー教室、47[破]泉カミーノ教室)
編集/角山祥道
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。