この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
瀧澤有希子さんは常に「忙しさ」と共にある。でも、そのためにやってみたいことを諦めたくはない。そう思ってイシス編集学校の門を叩いたが、かといって忙しさが減るわけじゃない。稽古と多忙な日々。その折り合いを付けながら、瀧澤さんは今日も編集稽古にのぞむ。
イシス受講生がその先の編集的日常を語るシリーズ、「ISIS wave」の第25回は、瀧澤さんの「時間編集」をめぐるエッセイです。
■■「破」で身につけた時間編集
伝えたいことは言葉を尽くさないと伝わらない、と思い始めたのが、20代初めの頃。それから「言葉」というものが頭の片隅にいつもあった、ような気がする。回りくどくなったり、早口になったり、概念的な言葉を使いすぎたり、尽くそうとすればするほど伝わらないことも結構あった。言葉だけではない何か。見え方、捉え方、受け取り方、そうしたものも、もっと工夫しないと通さないよ、と行く手を阻む。
ISISの編集術は伝え方のあれこれが整然と並んでいるようなわかりやすさがあった。突破して、今、自分の文章に使えているかと言えば、そうではなく、自分からまま出てくる言葉が、どの編集術を使ったらより伝わりやすくなるのか、使いこなすには、まだまだ道は長そう。
そうはいっても、[守]と[破]を歩いてきて、得たものはたくさんある。思いつくだけでも、時間の捻出方法、手放し、書き直し。
稽古は、いつも時間が足りなかった。十分時間をかけたと納得して出せたものは、殆どないと思う。書籍、お題、他の学衆さんの回答、指南。さざめきながら、止むことなく寄せてくる大小の文章の波に圧倒された。
携わっている貿易の仕事は、締め切りが多い。出荷方法も海上、航空、国際宅配便、出張者託送とその都度違う。それが何件か重なることもある。日程の調整、商品調達の社内調整、売上げの記録、採算の確認、支払・入金の確認…それらが平行して進む。オンラインショップの管理など細々とした対応が必要なものもある。
残業しない工夫が始まり、朝の始業時、Outlookに一日の予定を全部入れることにした。それを守り、予定内にできなかったものは、緊急でなければ翌日に持ち越す。ただそれだけのことだったけれど、手をつけたことをその日の内にやり終えようとして、平行している他の業務が遅れた結果の残業、という流れが格段に減った。1日が全体的にはかどり、気持ちも軽くなった。
かつては、一度書いたものを手直しすることには強い抵抗があった。[守]の時は、そのままの姿勢でどうにか卒門したものの、それではISISの門を叩いた目的が果たせない。[守]の頃から飛び交っていた「仮留め上等」の言葉に励まされ、[破]では、「カット」と指南が入れば、カット、「書き直し」と言われれば、書き直しも直ぐに取りかかった。全ては仮留め、そう思えるようになったことは、ISIS以外の日常にも軽やかさをもたらしてくれていると思う。
今は、編集の海の中で何の目印もなく漂っているような心境だけれど、傍でちゃぷちゃぷと控えめに存在を示してくれているお題たちが、波を立て、今ここで使って、と名乗りを上げてくれるようになる日を楽しみに、仮留めを投げ続けていきたいと思う。
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。