エストニアで見つけた「たくさんのわたし」――神保惠美のISIS wave #21

2024/01/06(土)08:00
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イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を
変える、日常を変える――。


神保惠美さんは今、日本から直線距離にして7809km離れた北欧の国にいる。この地で、増え続ける「わたし」とは。


イシス受講生が編集的日常を語る、エッセイシリーズ。2024年最初の「ISIS wave」は、海外からお届けします。

 

■■根底からグラグラ、ときにヨロヨロ、たまにプスッ

 

ゴトッ」。2021年の春から翌年の冬にかけてイシス編集学校の[守][破]を終えたとき、コロナ禍で一時停止していた時間が動き出したような気がしました。その音を聞いたわたしは、緊張感と好奇心を膨らませて、次の物語へ踏み出しました。わたしは、2023年3月に15年間働いた丸善雄松堂を退職して、4月に外務省に入省し、そして9月から在エストニア日本大使館で書記官(外交官)をしています。
 今住んでいるタリン(エストニアの首都)は北緯59度、ヘルシンキまで船で2時間半の場所に位置するヨーロッパの北国で、この原稿を書いている11月末は9時近くに日が昇り15時30分頃には日が沈んでいます。九州沖縄程度の国土に奈良県と同じくらいの人口が暮らしいて、当地のジョークに「エストニア人はコロナで2メートルの距離を保たなければならなかったが、コロナ禍が終わってようやく5メートルに戻れる」というものがあります。シャイで誠実できれい好きというのがもっぱらの評判で、私たちと通じるところがあると当地の日本人から聞く機会が多いです。

 

▲教会のコンサートに整然と並ぶエストニアの人たち。

 

 イシス編集学校では、「BPT」という方法を学びます。ベース(B)からターゲット(T)に向かって進んでいくプロフィール(P)を言葉にする稽古です。東京というベースを離れてタリンに引っ越したターゲットは、“海外で働いて生活する”経験のためでした。夢が叶う瞬間を目の前にして期待に満ちた冒険への旅立ちと思いきや、千夜千冊704夜「千の顔を持つ英雄」セパレーションにあるように、迷いや引き戻しなど紆余曲折あり、引越に関わる各種手続き(区役所、警察、金融機関、各種サブスク、携帯電話、予防接種、外貨両替、粗大ゴミ、不動産解約、手持ち荷物と船便の荷造り)を1ヶ月で行い、様々なことをやり残したまま出国したのが現実です。
 飛び込んだ世界は、新しい自分・たくさんのわたしに出会うイニシエーション(試練)の連続です。新しいプロフィール例を挙げると、眠れない夜に麺つゆを飲んで熟睡した自分、ホームシックで友達にLINEを連投する自分、でも時差が気になって日本に電話できない自分など、重度にさみしがり屋な自分でした。肩書きも、書店勤務のサラリーマンから公務員になり、外交官になり、異国に暮らす日本人になり、現地語が喋れない外国人になりました。
 イシス編集学校で師範代から、揺れ動くプロフィールを存分に広げ、その揺らぎさえも楽しめるように、という指南を受けました。エストニアに来て3ヶ月、急激な環境変化に適応しきれず、私のプロフィールは根底からグラグラ、ときにヨロヨロ、たまにプスッと空気が抜ける音がしながらも増え続けています。更に、家族、友人、職場、チームメイト、よく通った食堂に至るまでベースも多様で、ここタリンでもそれは増え続けています。たくさんのベースが重なりあう私のプロフィールは多層的になり、絶え間なく降り積もる落ち葉のように、またはどんどん積み上がる雪かきの山のように、それともモクモクと形を変えて成長する夏雲のように広がっていきそうな予感です。

▲神保さんの通勤路(秋から冬にかけてのタリンの街並み)。

 

神保さんは、イシスで学んだ方法を手に、果敢にも「偶発性(コンティンジェンシー)の海」に飛び混みました。その場の状況や目の前のものから、どんなことが可能かを察知するのがアフォーダンスですが、言い換えれば、わが身を「新しい場所」に放りこめば、アフォードされることが勝手に増えていきます。揺らいだり、迷ったり、困ったりすることも多々あるでしょうが、それこそプロフィールが動いている証拠。神保さんは、自身を意図的に「編集状態」に置いたのですね。あ、また別の音が聞こえてきました。


文・写真/神保惠美(47[守]一客一亭教室、47[破]時たま音だま教室)
編集協力/清水幸江
編集/角山祥道

  • エディストチーム渦edist-uzu

    編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。