この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
ウェブディレクターの内野絹子さんは、福岡を拠点として小規模事業専門にホームページ制作や情報発信のサポートを行う「KoKocreate」の代表だ。自ら写真を撮るカメラマンでもある。
2020年の起業以来、不安だらけだったという内野さんの背を押したものは何だったのか。
イシス受講生がその先の編集的日常を語る、新しいエッセイシリーズ、第5回目をお届けします。
■■イシスの方法で駆け抜ける
「守」を卒門し、続けて「破」を突破した後、編集の未体験ゾーンを走り抜けた実感はあったものの、型を日常で活かすのは難しそうに思っていた。だが、今回よくよく振り返ると使っていた。しかもすごくわかりやすく。
それは、ある事業主(Nさん)の「会社名」のネーミングの相談を受けた時のこと。私はネーミングの仕事は経験がなく、どうアドバイスするか考えた時、咄嗟に取り出したのが、守で学んだ基本的な型だった。
私 「会社を情報として客観的に見てください」
Nさん「?」
私 「なんとなくそう意識する感じで大丈夫です。それで、本当に何でもいいので、この会社のことをいろんな言い方で言い合ってみませんか?」
そこから一緒に、会社に関することやそれに関連するもの・ことを書き出した。これは【たくさんの私】だ。出てきたものを言い換えたり、類義語を辞書で引いてみたり、連想したり、要約してみたり。これは【シソーラス】だ。
途中、スピードが落ちた時、【オノマトペ】を連発してみた。
Nさん「そんなのもあり?!」
散らばった情報を画面上のホワイトボードに分けて眺めてみる。【らしさ】が表されるのはどういうものか、欠かせないものは何か、ざっくばらんに交わしあった。
私ができたことはそこまでだったが、後日、4つに絞られた候補が届いた。
Nさん「どれがいいと思います?」
私 「うーん…」
2つまで絞り、迷った挙句、1つの社名を選んだ。
Nさん「ですよね! これですよね…」
私は昔から「完成!」と思えないと人には見せられない、完璧主義なところがあった。しかし、イシスの稽古でそれをやっていては先に進まないことも早い段階で理解した。「仮留め上等!」とまずは回答を放ってからハチマキをしてペンを振り回す仲間もいたので、いつからか私も真似るようになっていたのだ。
「仮留め上等!」を傍らに置いておいたおかげで、あれこれ悩まずとにかく頭と手を動かしてやるんだという挑戦モードになり、行動が加速した。これは自分の中で大きな変化だった。
未完成のものを人に見せたり、着地点が見えていないものを手放すのは勇気がいるが、自分で考え一旦形にしたら人に渡してみる、そうすることで生まれるものがあると今は知っている。
今後もそうして、人と思考を混ぜ合いながら私は仕事をしていく。
▲内野さんは、仕事と趣味の両方でカメラ Nikon D750を構える。眼前の情報の切り取り方にも「型」を使っていることを意識するという。
文・写真提供/内野絹子(46[守]角道ジャイアン教室、46[破]互次元カフェ教室)
編集/角山祥道、羽根田月香
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。