この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
松岡竜大さんは稽古の人である。イシスで学び始めたのとほぼ同時に、合気道を習い始めた。松岡竜大さんは音楽の人である。プロのギタリストであり、鹿児島でレッスンを行っている。松岡竜大さんは読書の人である。千夜千冊の連載を欠かさず読み、そこから派生した書物を蒐集、言葉をノートに記録する。イシスの稽古を通して、関心のあることに向かう時に読書を取り入れるようになった。
イシス受講生がその先の編集的日常を語る、新しいエッセイシリーズ。第3回は、「松岡竜大さんが合気道の外稽古の最中に体感したこと」をお届けします。
■■森の中で音楽が聞こえてくる
少しぐらい寒さが厳しくても、冬の風は心地よい。鹿児島祥平塾で合気道を学び始めてすぐに、近くの公園で外稽古を始めた。より自由度を高くしたせいか、頬を柔らかく愛撫する風を感じる様になる。身体を操作するよりも、その風を途切れない様に感じた方がよい。身体の外側と内側がひとつになる。
火照りを整えるために、城山の遊歩道を登る。ここで、風は森全体を響かせる息吹になる。指揮者の居ない、偶然(ハプニング)が奏でるオーケストラ。遠くから、何かが気配を伴って摺り足の様に近づいて来るその時、武満徹の “弦楽のためのレクイエム” が聞こえてくる。
《音によって組み立てられる、抽象的な構造の美を至上とするヨーロッパの音楽に対して、日本の伝統音楽は、音によって構築するというよりは、一音の中に、変化する動きの相をとらえ、それを聴き出そうとする、移ろいゆく変化を何よりも大事にして、そこに「さわり」というような、独自な美意識が生じた》(『武満徹エッセイ選 言葉の海へ』小沼純一編、ちくま学芸文庫)
木々は、大地に強く深く根を伸ばし、先端を柔らかくし、風の抵抗を受けきる事で、躍る。
合気道は脱力が基本にある。能動的な脱力とは、主体性を捨て、ふにゃふにゃする事ではない。武満徹が、西洋と日本、異なった二つの音楽を自己の感受性の内に培養するといったように、矛盾を解消するのではなしに、その対立を自己の内部に激化するといったように、二項同体(清沢満之)で世界を捉えることではないだろうか。
夜の森で風を聞くたびに感じるものとは別に、改めて武満徹の音楽を聴いてみる。
《僕はたくさんの中から一を聴く様に努力したいと思うのです。一つの音にも世界を聴きたいです》(『武満徹対談選 仕事の夢 夢の仕事』小沼純一編、ちくま学芸文庫)
箏曲家の宮城道雄は、都会の真中に住んでいて、海の潮鳴りを聞いていると言った。からだは都会の真ん中に置きながらも、魂だけは遥か海辺に遊ぶことができた。宮城道雄も一つの音に世界を聴いていた。この様な意識の在り方を貫く日本という方法があるに違いない。
今日も風が途切れないよう風を感じて走る。
▲松岡竜大さんのギタースタジオ。音楽空間に書物がインタースコアされている。
文・写真提供/松岡竜大(46[守]角道ジャイアン教室、46[破]多項セラフィータ教室)
編集/角山祥道、羽根田月香
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。