教室にハイパーな夕凪を 48[破]伝習座

2022/04/26(火)08:13
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破の開講をさかのぼること半月前、破の伝習座に、夕凪アルケミストがやってきた。久しぶりに、海を渡ってやってきた。

 

編集学校の教室は、いつも順風満帆とはかぎらない。逆風も吹く。学衆からの抵抗、抗議、反発、暴動、攻撃だってある。そんなときに師範代はどうすればよいのか。それを語りにやってきた。

 

そして伝習座はこうなった。

 

この日の破の伝習座のハイパーゲストは、渡辺恒久師範である。守の番匠を長らく務めた編集学校の番人。ハワイに居を構えて、日本語と英語で編集の瀬を渡るだけでなく、身体性を重視したワークショップで言葉とカラダの閾も越える。言葉の匠を多く抱える編集学校も、体と英語をここまで編集的に使いこなす者はいない。

 

長らくコロナの影響で彼の姿をモニター越しにしか見ることができなかったが、この日は豪徳寺に現れ、その身体性が発する独特の空気でやはり周りを和ませる。筆者は渡辺とは17破で同期師範代の間柄。彼が師範代を務める教室の名が夕凪アルケミストだった。

 

渡辺からは続々と、教室運営、特に波濤が渦を巻いて襲ってくるときのためのキーワードが渡されていく。90%の用意があって初めての卒意。狙いすぎない、追い込みすぎない。言葉を発するときのリスクの自覚。そこまで続けた渡辺がマイクを置いて、「では、やってみましょうか」と立ち上がる。伝習座の場では異例の、身体性の開陳だ。

 

 

たとえば人は、肘を外側から相手に抑えられ、体の自由を奪われたときにどうするか。当然、抑えている相手の肘を押しのけて払おうとするだろう。でもそうじゃない、と渡辺は、抑えられている腕を伸ばし、手のひらを拡げて外へ向かう。手のひらで世界を感じ、呼吸して、可能性のあるほうへ大きく伸ばしていく。そうすると、抑えつけられた相手の両の腕のなかで体がするりと一回転し、体は解放される。何とも戦わない、自由。

 

「と、こんなふうに運営してみてください。」

 

伸ばす手の先が、コンティンジェントを物語る。コンティンジェントとは、「ともにふれる」という義だと渡辺は言う。決まったことではなく、「可能性のある方へ、ある方へ」と手を伸ばす教室運営。今から15年前、17破の感門之盟で、夕凪アルケミストの師範代として「行こう、行こう。他のいる向こうへ行こう」と静かに絶唱したときから変わらぬ、編集的自由の心柱(1249夜『大乗とは何か』参照)。

 

編集学校の番人のコトバとカラダを受けた師範代たちは、すでに破の大海原に漕ぎ出した。

  • 中村羯磨

    編集的先達:司馬遼太郎。破師範、評匠として、ハイパープランニングのお題改編に尽力。その博学と編集知、現場と組織双方のマネジメント経験を活かし、講
    座のディレクションも手がける。学生時代は芝居に熱中、50代は手習のピアノに夢中。

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。