ジャイアン五箇条――46[守]新師範代登板記 ♯12

2021/01/29(金)10:30
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 師範代というロールを請け負って3カ月が過ぎた。師範代をやりながら遊刊エディストの記事を連載しているせいか、イシス関係者から「大変ですね」と言われることが多い。
 ジャイアンは天邪鬼である。大変だと言われれば、「本当にそうか?」と考えたくなる。そもそもこの発言の前提に、「師範代は大変だ」という共通認識がある。その上さらに、というわけだ。

 

 師範代ロールは、本当に大変なのだろうか?
 舞台裏を明かすと、当初、「師範代は楽勝だぜ!」という記事を放り投げたのだが、エディストの担当編集K氏から、あまりに乱暴だとケチがついた。ジャイアンが大変だと感じていないのはなぜか、「深掘りをして方法的に記せ」という。
 いわば「彩回答せよ」と指南されたということだ。


 ムムム。
 隙間時間をうまく活用するとか、同期師範代との繋がりが支えになるとか、睡眠時間は確保したほがいいとか、学衆を信じて語りすぎないようにするとか、書いた指南をすぐ放らず機を見るとか、細かなテクニックは数多あるが、こんなことじゃないよね。
 仕方ない。ジャイアンが実践している「師範代を楽しむ5つの方法」を言葉にしてみることにした。

 

一、学衆は『東京ラブストーリー』の赤名リカである

 学衆がいつ回答を放ったかに師範代は左右される。この時間に指南をしよう、という計画は成り立たない。だから計画しない。
 気持ちとしては、赤名リカと付き合っている感じか。突拍子もないタイミングで思いもよらない回答が届く。「振り回される」ことに身を投じてみれば、これは案外刺激的である。師範代は振り回されながら前に進んでいくのである。特に番ボー指南は、即応が基本なので、振り回されっぷりも半端ない。だからこそ、愉悦も人一倍だ。
 教室で起きるあらゆるアクシデントも、場を動かす大きな機と考えれば、「待ってました!」となる。

 

一、学衆の回答は、素敵な本が詰まった福袋である

 回答には、学衆の「地」が関わってくるので、専門的な話題も多い。正直、回答を読んでもすぐにわからないことも多いのだが、ジャイアンは気にしない。師範代は何でも知っている必要はないのだから。もちろん調べた上だが、どうしてもわからないことは聞けばいいし、聞けば教えてくれる。ちなみにジャイアンは、合気道、ブロードウェイ、模型の作り方、賞味期限切れの食材を使った料理法など、いろいろ詳しくなった。これまで気づかなかった新しい価値を知ったのである。
 さらに学衆はひとりではない。角道ジャイアン教室ならば9名の声が重なり合うので、化学反応が起こる。

 

一、学衆は、師範代の赤ペン先生である

 ジャイアンは「教える」なんてこれっぽっちも思ったことがない。だいたい教えることなんてひとつもない。型? 型ならお題に書いてある。教えるというより、回答から型を取り出しているに過ぎない。
 学衆はジャイアンにとっての赤ペン先生だ。毎回、「あ、こんなふうに型を使うんだ」ということを事細かに教えてくれる。「教えなきゃ」と身構えるとプレッシャーは大になるが、「学んじゃうぜ」と思えば、指南は軽やかになる。
 時には工藤新一のように、回答に対して推論を働かせることもあるのだが、これはこれで、楽しい推理ゲームである。

 

一、学衆は、浄玻璃の鏡、時には白雪姫の鏡である

 地獄の閻魔庁に備えつけてある浄玻璃の鏡は、人の生前の一挙手一投足をすべて映し出すという。ジャイアンにとって、学衆は浄玻璃の鏡だ。学衆の回答や発言はすべて、師範代の振る舞いを投影している。学衆が楽しくなさそうな時は、師範代が楽しんでいない時だ。師範代が面白がっていれば、学衆もまた面白がる。師範代がイキイキとしていれば、教室もまた賑やかになる。
 だったらどうすればいいか。鏡に聞いてみればいい。
「この教室でいちばん楽しんでいるのはだあれ?」

 

一、学衆は、いちばん熱心な新聞小説の読者である

 教室の学衆ほど素敵で熱烈な読者はいない。だって師範代の指南を必ず読んでくれるのだから。書き手にとってみれば、「whom」が明確なのが心強い。読者の顔がみえる書き手ほど幸せな存在はない。しかも書くテーマに頭を悩ます必要もない。目の前に回答という与件がぶら下がっているのだから。
 ジャイアンは開講以来、新聞連載のつもりで、毎日1つ以上の指南を届けている。そう決めれば張りも出るし、実行すればリズムも生まれる。


 ふー。
 ひとことでまとめれば、誰が何と言おうと、イシスは「楽しんだもん勝ち」なのだ。ジャイアンはこの勝負で学衆に負けるつもりはない。オレサマがいちばん楽しむのだ!

 

▲左上から時計回りに、辻井貴之守師範代、桂大介守師範、福田容子破師範代、渡辺高志破師範、深谷もと佳花伝師範。ジャイアンが守・破・花でお世話になった先達たちだ(ロール名はその当時のもの)。先達から得た智慧が、五箇条の中に息づいている。

 

◆バックナンバー

ああ、それでもジャイアンは歌う――46[守]新師範代登板記 ♯1
ジャイアン、恋文を請い願う――46[守]新師範代登板記 ♯2
ジャイアンとコップ――46[守]新師範代登板記 ♯3
ジャイアンの教室名 ――46[守]新師範代登板記 ♯4
ジャイアンは教室とともに――46[守]新師範代登板記 ♯5
ジャイアンの1週間――46[守]新師範代登板記 ♯6
ジャイアン、祭の後――46[守]新師範代登板記 ♯7
ジャイアンの聞く力――46[守]新師範代登板記 ♯8
汁講ぞ、ジャイアン――46[守]新師範代登板記 ♯9

ジャイアン駅伝――46[守]新師範代登板記 ♯10

ジャイアンの破語り――46[守]新師範代登板記 ♯11

  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。