変幻自在、イシス的師範代の無双~45[守]の巻

2020/09/15(火)10:07
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「狙われるもんより、狙うもんのほうが強いんじゃ。そがな考えしとったら隙(すき)ができるど」。映画『仁義なき戦い』で菅原文太扮する主人公・広能昌三はこう放つ。

ベースからターゲットを狙う。師範代と学衆のキャッチボールはいつも未知に向かって投げられる。間(アイダ)のプロセスは師範代に委ねられている。
シーザー師範こと井ノ上裕二は、長いことアジア各地を歴任したビジネスパーソンだ。中国やバンコクでの武勇伝は数知れず。培った編集学校での十八番は、キレ目の直球だ。
45[守]には、代打として師範代登板(飄々絃々教室)、別院には“花は散り際 罪は寸前 恋はなかばが いいらしい”と都都逸を寄せる。井ノ上によると「内角エロ目の玉」を狙ったらしい。
喜多川歌麿に肖って擬く。超部分に焦点を当て畳みかけながら、春画の手法スレスレを狙う。「父上~!」と娘ほどに離れた学衆から「絶妙な煽り」と指摘されて、シーザーはほくそ笑む。

時を同じく、おもてなし仙人と名高い若林牧子45[守]師範代(ストールたくさん教室)に、謎かけ婆が憑依していた。二度目の登板で意気軒高だ。
「わしが見る限りは鬼に到底見えないのじゃが、きっと腹は黒いのじゃろ。人は見かけによらぬものじゃ。」
若林の指南はあっという間に妖化を纏い蠢動しはじめた。ふだんは、食と農のコーディネーターとして旬を届ける若林にはエプロンがよく似合う。編集稽古ではあらゆるスパイスを効かせ、届く回答に指南の魔法をかける。過剰は余白を生む。

45[守]21教室160名の学衆は終戦記念日の翌日、無事卒門を迎えた。師範代21名、師範9名、番匠、学匠総勢200名による一座建立。曲芸師のごとく場を回し続ける4カ月も幕を閉じた。

今年20年目を迎えるイシス編集学校。連綿と続く稽古の舞台裏は無双に対して寛容だ。過剰は贈答儀礼にして、別様の可能性を起動させる。大いに語り手が突出する。憧れを過小評価してはならない。

「わしがやらにゃ、恰好つかんじゃろ。」誰が言ったか幻か。

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ピカソ・三島・文太 角刈りのシーザーがもどく

 

  • 平野しのぶ

    編集的先達:スーザン・ソンタグ
    今日は石垣、明日はタイ、昨日は香港、お次はシンガポール。日夜、世界の空を飛び回る感ビジネスレディ。いかなるロールに挑んでも、どっしり肝が座っている。断捨離を料理シーンに活かすべくフードロスの転換ビジネスを考案中。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。