41[花]はからない師範

2024/07/15(月)08:09
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 41[花]は5つの道場にわかれて、式目演習に臨んだ。師範代認定への評価は、それぞれの道場を与る花伝師範の裁量に委ねられている。今期わかくさ道場の花伝師範は尾島可奈子。尾島は、敢えて「わかりやすいスコア」ではからない、という編集方針で道場稽古をスタートさせた。

 

◆はかれるもの・はかれないもの
 口数の多さや回答のスピード、あるいは誰と何回、どれくらいのやり取りをしたか、といった数や量で表すことができるもの。言葉遣いやものごとの見方や捉え方、特徴や手触りのような質的なもの。こうしたスコアとしてつかめる、わかりやすいもので入伝生をはからない。尾島が見ているのは、彼らが「場」に出してくるふるまいの奥にあるものだ。

 

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◆わかくさの広場

 わかくさ道場の6人のうちで、もっとも「書く」ことに長けているのはYだ。日々の暮らしの情景を軽妙に、鮮やかに描きだす力量と、読むものを引き込む情感あふれる世界観には誰もが一目置く。ことばも柔らかで豊穣だ。かつて[守][破]の講座で稽古の達人の名を欲しいままにしたMは、わかくさ道場でも先陣を切る。彼のユニークネスは、あちこちにハプニング(偶然)を巻き起こす、さながらつむじ風だ。いっぽう、対話のステップを楽しむSは、Chat GPTを道場に持ち込んだ。AIの回答は、連想もアナロジーも新たな可能性もなく、表面的だ、とすっぱり言いきりながらも、Chat GPTなりの「らしさ」の捉え方をおもしろがる。

 

◆推しはかる
 尾島は矯めることをよしとしない。センサーに触れるところにどんどん深く入り込んでゆくUの注意のカーソルの動きを“ほっつき蟻”に見立て、彼の持ち帰るお土産を楽しみに待つ。蝶々のように軽やかに道場仲間の間を飛び回るRが、痛みを感じる瞬間を見逃さず、すっと言葉を届ける。Yの芳醇なことばの奥に気高く咲く花を愛で、SとChat GPTのやり取りに耳をすませる。時にしれっと対話に加わり、さしかかりと見ればきりっと鋭く切り込む。ここぞの場面では、粘りづよく言葉をかさね、決してあきらめない。

 

◆「場」のチカラ
 彼らのふるまいのひとつひとつが、尾島にとってのツールになる。だれかが動けば、周りも動く。そうやって「場」が動き、ひろがってゆく。その「場」に編集されるのは、入伝生だけではない。彼らの一様ではないふるまいが、道場をともにする師範の応接も変幻自在にかえてゆく。師範たちは多様な意味の交換をともに遊ぶ編集数寄者だ。

 

 花伝所はイシス編集学校で、唯一、相互編集を方法として学べる場だ。花伝所の師範は、そこにあるものから「次になるもの」を見つめている。そのイメージメントが入伝生を師範代認定のその先へ、編集道の彼方へと導いてゆく。

文:山本ユキ(錬成師範)
写真・アイキャッチデザイン:宮坂由香(錬成師範)

 

 

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  • イシス編集学校 [花伝]チーム

    編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。