この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

SUMMARY
私たちが食べてきたものとは何か。思い返すとそこには過ごしてきた日々の記憶がつき纏う。例えばおやつには家族や友人とのエピソードが潜んでいて、おやつを前にすると誰もが子どもの表情に戻る。小川糸が紡ぐ生死が混ざりあう場に「おやつ」はやさしく私たちを待ち受けている。記憶は台所にも瀬戸内海を臨むホスピスにも、どこだか分からない皆から忘れ去られた世界にも横たわる。
ブローティガンが描く西瓜糖でできたコミュニティ「アイデス」と〈忘れさられた世界〉はもろく、儚い。甘い西瓜を煮詰めたときに漂うのは命の滋味か、悲劇か。
イラストルポライターの内澤旬子は廃屋を改造して、三頭の豚を食べるために飼う。豚を交配させ、育て、共に過ごしたのちにかれらを屠殺し、調理して食べる。かれら三頭の存在は内澤の体内に残り続けていると実感する。
もう少し生き長らえたい、生きた証を感じたい。どこにもないものをまとわせながら、生命の感触を信じたい。どんなかたちであってもその望みとともに「食」はあるのだ。
■人生を肯定するもの、おやつ
食べるという行為と味わうことで生まれる感情はつながっている。
小川糸の『ライオンのおやつ』は瀬戸内海のホスピスで最後の日々を過ごす主人公、雫の物語だ。余命を宣告されホスピスでの穏やかな生活のなかで、身体が弱り、意識が遠のいてくる雫がかろうじて時間の感覚を取り戻すのは、週に一度、日曜日の午後三時からおやつの間で開かれる、おやつの時間だった。この時間が来ることで一週間経ったことがわかる。雫の生きる希望であり、節目にもなっていた。「おやつの記憶は、喜びや楽しさをまとっている。人生を肯定的に受け取れるのでないかと思いました」と小川は語る。
■何でもないもの、西瓜糖
私たちが生きた時間と記憶とはふと蘇るものかもしれない。『西瓜糖の日々』で描かれるコミューン的な場所、“アイデス”(iDEATH)ではあらゆるものが西瓜糖で作られる。橋も家も言葉も西瓜糖でできているのだ。そして、もうひとつ“忘れられた場所”という空間に住み着いている男性「インボイル」とその仲間。虎に食べられた両親とその虎を殺した「わたし」。愛や暴力、喪失を描く寓話的な作品だ。ブローティガンが綴る西瓜糖でできた“アイデス”と“忘れられた場所”は もろく、儚い。甘い西瓜を煮詰めたときに漂う気配は命の滋味か、悲劇か。
■畜産が体内に残したもの
イラストルポライターの内澤旬子は廃屋を改造して、三頭の豚を飼った。目的は食べるため。世界各地の屠畜現場を取材してきた著者が抱いた、家畜が「肉になる前」が知りたいという欲望が彼女を突き動かす。受精から立ち会った三匹を育て、やがて食べる会を開く。この経験から得たのは畜産とは単純なサイクルではないという事実だ。生き物を育てていれば、愛情は自然に湧く。「健やかに育て」と愛情をこめて育て、それを出荷つまり殺して肉にして経済とする。ここに内澤はある種の豊かさを感じるという。
私たちが食べてきたものとは何か。思い返すとそこには過ごしてきた日々の記憶がつき纏う。おやつには家族や友人とのエピソードが潜んでいるからか、おやつを前にすると大人の誰もが子どもの表情に戻る。小川糸が紡ぐ生死が混ざりあう場に「おやつ」はやさしく私たちを待ち受けている。記憶は台所にも瀬戸内海にもホスピスにも、どこだか分からない、忘れ去られた世界にも横たわる。
内澤の体内に、三頭の豚の存在はしっかりと残り続けている。
もう少し生きていたい、生きた証を感じたい。どこにもないものをまとわせながら、生命の感触を信じたい。他者の命の死と生と、自分との共存を感じたい。どんなかたちであっても、その願いとともに「食」はあ
るのだ。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈『ライオンのおやつ』小川糸/ポプラ社
∈『西瓜糖の日々』リチャード・ブローティガン/河出書房新社
∈『飼い喰い 三匹の豚とわたし』内澤旬子/KADOKAWA
⊕多読ジム Season13・冬⊕
∈選本テーマ:食べる3冊
∈スタジオ*スダジイ(大塚宏冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三位一体
『ライオンのおやつ』
/ \
『西瓜糖の日々』――『飼い喰い 三匹の豚とわたし』
増岡麻子
編集的先達:野沢尚。リビングデザインセンターOZONEでは展示に、情報工場では書評に編集力を活かす。趣味はぬか漬け。野望は菊地成孔を本楼DJに呼ぶ。惚れっぽく意固地なサーチスト。
【5月22日参加募集中!】ISIS FESTA SP多読アレゴリア・武邑光裕篇 「記憶の地図と書物の新世紀」~21世紀のアルスとムネモシュネアトラスへ~
現代において、生成AIの進化は、私たちの記憶のあり方に大きな変化をもたらしつつある。中世以降、「記憶術」は記憶に場とイメージを刻み込み、個人の内的世界を構築するアルス(技術)であったのに対し、生成AIデバ […]
【三冊筋プレス】ブルーとイエローのプロジェクション(増岡麻子)
それは「うつ」だろうか ロシアのウクライナ侵攻、安倍晋三元首相銃撃事件、2022年は悲惨な事件や事故、戦争の映像を多く目にした一年だった。否応なしに目に入ってくる悲惨な場面に心が疲弊した人も多く、私 […]
本から本へ、未知へ誘う「物語講座」&「多読ジム」【79感門】
感門之盟の終盤、P1グランプリの熱も冷めやらない中、木村久美子月匠が、秋に始まる【物語講座】と【多読ジム】を紹介した。 このふたつのコースは守・破の集大成ともいえる。「師範、師範代経験者にこそ受講して、共に […]
<多読ジム>Season10・春の三冊筋のテーマは「男と女の三冊」。今季のCASTは中原洋子、小路千広、松井路代、若林信克、増岡麻子、細田陽子の面々だ。男と女といえば、やはり物語。ギリシア神話、シェイクスピア、メリメ、ド […]
【三冊筋プレス】植物と人が触れ合う、現代のユートピア(増岡麻子)
白洲正子もチャペックもウィリアム・モリスもメーテルリンクもみんなボタニストの編集的先達だ。<多読ジム>Season08・秋、三冊筋エッセイのテーマは「ボタニカルな三冊」。今季のライターチームはほぼほぼオール冊師の布陣をし […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。