ISIS 20周年師範代リレー [第46期 角山祥道 ちょっと頼れる「映画に出てくる方の」ジャイアン]

2022/02/06(日)09:00
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2000年に産声をあげたネットの学校[イシス編集学校]は、2020年6月に20周年を迎えた。第45期の師範代までを、1期ずつ数珠つなぎにしながら、20年のクロニクルを紹介する。

 

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ミイラ取りがミイラになる。2019年3月末に、辞書や辞典のデーターベースサイト「ジャパンナレッジ」から、編集工学研究所の紹介記事が公開された。この記事を執筆したのが誰あろう、この「遊刊エディスト」で腕組みをしてとぐろを巻いている、ジャイアン記者こと角山祥道である。取材時のやりとりを「お任せして安心だった」と佐々木局長は振り返るが、この取材こそが、角山の入門のきっかけとなった。角山が[守]に入門した43[守]は上述の記事が公開されて間もない2019年4月の開講。ライターだけあってさすがのフットワークの軽さと言える。

 

守破通して充実の稽古ぶりで、担当師範代から師範代にと誘いもあったが、男ジャイアン、最初は頑なに首を縦に振らなかったそうである。企業に所属せず腕一本でやって来た男には、編集学校の指導陣のフレキシブルな体制も、十分「組織」に見えたのかもしれない。だが、やると決めたらやるのも男。花伝所での盤上錬磨を経て、2020年10月末に46[守]角道ジャイアン教室はスタートした。トランプとバイデンが接戦を繰り広げていたころである。師範代としての角山は、ひと言で言えば「繊細な兄貴分」。懐の広い面倒見の良さとパワーで学衆を引っぱるが、舞台裏では細かな観察に基づいた周到な準備を進める。豪快に歌い上げるが、涙もろい一面も持つジャイアンそのものなのだ。実際に感門之盟では男泣きも見せた。

 

が、やはり師範代としての活動で歴史的だったのは、遊刊エディストでの連載だろう。多忙を極める師範代業の傍らで連載を受け持つこと自体が相当なことだが、師範代ロールの手応えを綴るという連載内容の要求も高い。教室の学衆は、当初は連載の存在も知らないから、赤裸々なことも書けない。また、いずれ学衆が読んだときに、あまり稽古の先が分かりすぎるようになるのも具合が悪い。日記のようにただ起こったことを書けば良いわけではなく、かなり微妙な現実的事情とのバランスをとったアケフセが求められる難役だった。18回の連載の終盤には、学衆の顔が見える記事を書くに至り、見事に掉尾を飾った。現在角山は師範となり、ジャイアン・テイストは控えめに活動しているようだ。繊細な目と誠実な手が、これからもたくさんの編集可能性の合唱を生み出すことだろう。

◎師範代メッセージ◎


 

>あのときメッセージ>

コロナはアベ政権を葬り去りマスクは人々の声を閉じ込めたが、どっこい、映画『鬼滅の刃』と46守だけは暴れ回った。伝習座も汁講もZOOMだったが、別院では学衆自ら喫茶室と図書室を立ち上げ、そのうねりから多くのエディティング・キャラクターが誕生した。

 

>これからメッセージ>

おまえの喜びはオレのモノ、おまえの悲しみもオレのモノ。共楽共苦でそれぞれの先へ。

 

角道ジャイアン教室 角山祥道

 


 

●あの日!あの時!千夜千冊!●

アズマンの本当の「つもり」

1755夜 東浩紀『動物化するポストモダンゲーム的リアリズムの誕生』

…2020年10月20日

◎鬼才の説く表現の来し方と行く先

1759夜 押井守『世界の半分を怒らせる』

…2020年12月28日

⦿編集したけりゃフェチになれ

1766夜 ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について』

2021年2月23日

Designed by 穂積晴明

 

 

  • 川野貴志

    編集的先達:多和田葉子。語って名人。綴って達人。場に交わって別格の職人。軽妙かつ絶妙な編集術で、全講座、プロジェクトから引っ張りだこの「イシスの至宝」。野望は「国語で編集」から「編集で国語」への大転換。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。