ISIS 20周年師範代リレー[第45期 梅澤光由 編集工学の求道者]

2022/01/31(月)09:00
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2000年に産声をあげたネットの学校[イシス編集学校]は、2020年6月に20周年を迎えた。第45期の師範代までを、1期ずつ数珠つなぎにしながら、20年のクロニクルを紹介する。

 

◇◇◇

2020年4月。新型コロナウイルスに世界中が揺れていた。日本でも初の緊急事態宣言が発令され、街から人々の姿が消えた。突然のリモートワークで行動範囲は狭まり、マスクがエチケットの一部となり呼吸も浅くなった。コンサートホールもライブハウスも閉鎖され、行き場のなくなった声はZoomやYoutubeの内に迷い込むばかりだった。

 

世界的な自粛という有事にこそ、編集工学は真価を発揮する。2020年6月に20周年を迎えたイシス編集学校(※外部リンク)の[守]講座では、パンデミック真っ只中の同年春から速修コースを開始し、稽古リズムの加速とともに濃密な知の学びが実現した。これまで一堂に会していた指導陣の学びの場「伝習座」は、編集工学研究所の本楼をスタジオ化することで、世界各地の師範・師範代を結ぶリアル・ヴァーチャルの新たな学びのメディアとなった。未知や想定外をこそ契機と捉えるのが編集工学の真骨頂。「有事の中で、あえて最も過激な平時を愉しんでいるのだ(松岡校長)」(※外部リンク)

 

そんな過激な「知の三密」を体現するのが、梅澤光由45[守]師範代である。入門のきっかけは佐藤優さんの本の「日本で一番の本読みが松岡正剛」という一節だという。それほどに本や知を偏愛する梅澤師範代の編集力は、徹底したモーラと膨大なアウトプットの両輪からなる。例えば、「つけまつ毛」という情報を一つ与えられれば、アクセル全開でその「超部分」から「フェチ」の語源へと加速したかと思えば、急カーブをして仏教的な「執着」やベンヤミンの「パサージュ」へとギアチェンジをし、最後には日本的な「数奇→格別→立派」の三間連結を鮮やかに決めてみせる。つまり縦横無尽のぶっちぎりなのだ。十三[離]を典離(最優秀賞)を退院した梅澤を、松岡校長もiGenの一人として「きっと次代のスターになるだろう」(※外部リンク)と大いに期待を寄せている。その後も[守]師範や千夜千冊編集部への抜擢、多読ジムSPコース「大澤真幸を読む」大澤真幸賞(最優秀賞)と、その活躍は華々しい。

 

梅澤の編集工学の原点は大学時代にあった。教育システムから与えられる知を効率よく吸収するだけの日々に気持ち悪さを感じ梅澤は「世界と自己とのズレをどうにかしたい」という切実と葛藤を抱えていた。そうした答えのない問いに向き合いつづけた梅澤が、モーレツに書物を耽読する中で編集工学とであったのは、「それが満を持した」(※外部リンク)からなのだろう。

 

現在の本業はSE。キーボード演奏も行い、芸術と科学、音楽とエンジニアリングのあいだの編集に関心を持つ。感門之盟での浅羽登志也師範との編集的音楽セッションは今や定番となった。梅澤師範代の編集道のあゆみは止まることを知らない。

◎師範代メッセージ◎


 

>あのときメッセージ>

コロナウイルスが同時多発的に拡大する中で、STAY HOMEをしつつも「有事が押し付ける平時」へ編集をかける新しい方法を手にしたいという熱誠を感じる切実の期。

さらに速修コースの開講にリモート伝習座など、新たな取組が加わった挑戦の期でもある。

 

>これからメッセージ>

"電脳世界で20年に及び発酵した編集稽古の実践は、現実世界とより深く交わってゆく。皆で参らむ、NEXT ISISヘ。"

 

糠床ザナドゥ教室 梅澤 光由

 


 

●あの日!あの時!千夜千冊!●

〇「自粛は自縮ではない。それぞれが粛然としなければならない」

1741夜:西山賢一『免疫ネットワークの時代』

…2020年05月12日

◎松岡校長が明かす「イシス編集学校誕生クロニクル」

1746夜:ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』

…2020年07月08日

⦿コロナ時代必読の贈与論

1747夜:松村圭一郎『うしろめたさの人類学』

…2020年07月22日

Designed by 穂積晴明

 

 

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。