ISIS 20周年師範代リレー[第19期浅羽登志也 鳴り止まないセッション]

2021/06/12(土)09:51
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2000年に産声をあげたネットの学校[イシス編集学校]は、2020年6月に20周年を迎えた。第45期の師範代までを、1期ずつ数珠つなぎにしながら、20年のクロニクルを紹介する。

◇◇◇

 

千夜千冊エディション20冊突破記念フェアが全国で巻き起こっているが、その原型を辿っていけば、2008年六本木青山ブックセンターで開催した「三冊屋」が見えてくる。「三冊屋」はのち全国50店以上に波及していった。

 

今や感門之盟での教室名発表で欠かせないドラムロールを担っている師範 浅羽登志也は「三冊屋」と時同じくして師範代デビュー。当時、日本のインターネットを牽引した企業IIJで取締役を務めていた師範代は「ITドラム教室」を名乗り、学衆とのセッションに蕩尽した。その後、師範を歴任。7年を経て「原点に立ち返りたい」と2015年には師範代再登板を果たす。

ITの世界から転身をし、現在は軽井沢で農業に携わる浅羽師範。かつての感門之盟で「編集的プラットフォームを作りたい」とプレゼンし、編集学校出身者が新聞に書評を書くという形で、社会とでいりするコンヴィヴィアルな編集チームのプロデュースを実現、執筆指南をし続けている。

 

人との縁を大切に思う浅羽師範は、優しくて言葉が強く、花伝師範となればモードを着替え、信頼のおける厳しさで指導にあたる。自身の教室・道場からたくさんの師範代を輩出し、「三冊屋」がそうであったように浅羽ミームは今なお編集学校に波及している。

 

◎師範代メッセージ◎


 

>あのときメッセージ>

この期は私も含め「17歳のための」を読んで編集学校の門を叩いた学衆が初めて師範代になった期。22教室で学衆200人超。師範代を志す人も多く、遊や業も始まり、編集学校がもっと世に出ようとし始めた時期。この年リーマンショックが起こったのも象徴的か。

 

>これからメッセージ>

フラジャイルでしなやかな編集力が、これから社会の地を動かす大きな力になりそうですね。

 

ITドラム教室 浅羽 登志也

 


 

●あの日!あの時!千夜千冊!●

〇アナロジーとは関係の発見学

1235夜:バーバラ・スタフォード『ヴィジュアル・アナロジー』

…2008年04月17日

◎理科のセンセーは「変なおじさん」だった。

1238夜:オリヴァー・サックス『タングステンおじさん』

…2008年05月02日

⦿美は「小ささ」から生じるもの

1250夜:エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起原』

…2008年07月01日

Designed by 穂積晴明

 

 

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。