記憶を喚起する”物語”が鍵 鈴木康代の未知奥物語

2019/10/22(火)12:59
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 3・11後、多くの人がフクシマから退避した。郡山在住の鈴木康代(8[離])は取り残されたように感じた。この地に移住した先祖を一度は恨んだ。


 自宅の庭を眺めるうちにそれは後悔に変わり、ある決心にいたった。「この郷土に住み着いた名もなき人びとの歴史と文化を言葉にしよう」。


 鈴木は地元で聞き取りを続け、記録を試みる。ある老婆は、災害体験を「なかったこと」にしていた。鈴木は推測する。生活基盤が瞬時に崩壊するような苛烈な体験によって「自分と事件」「現実と想像」の境目があいまいになったのではないか。


 別の老人は、洪水時に牛や馬と一緒に流された体験を淡々と語った。それはあまりにも非日常的な事件だった。聞き取りの記録で再現し、他者に伝えることは難しい。

 

 鈴木は気がついた。「例えば手入れした庭の木々にも、思い出がある。3・11は、そういった生活の文脈を破壊した。ならば、再生すべきは記憶と想像力を喚起するための物語ではないだろうか」。

 

 鈴木の東北編集は遅々としている。どう物語をつくるのか見当もついていない。だが、その編集の歩みが止まることは決してない。

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。