【インタビュー】イシスの講座に大工の影? 44[守]の学番匠

2019/10/12(土)09:20
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 イシス編集学校には、さまざまな肩書が存在する。キーとなる編集術のルル三条(ルール・ロール・ツール)にあやかり、編集学校内では肩書のことを「ロール名」と呼ぶことが多い。連雀、方師、半東、別番、綴師……。普通の学校では聞き慣れないロール名がずらり並ぶ。世界に一つの講座に携わるのだから、世界に一つのロール名が与えられるというわけだ。が、学衆に直接指南をつける「師範代」以外のさまざまなロールは、なかなか受講者からその役割が見えづらい。

 

 [守]においては、その最たるロールが、恐らく「番匠」ではないだろうか。教室につく師範・師範代でも、講座全体をリードする学匠でもない。いったいどんな役割を担っているのか。「番匠」を辞書で引くと、かつて諸国から毎年京に上って建築の現場を統括していた建築職人たちとある。編集学校の講座には大工までいるようだ。

 

 「番」は「つがい」とも読む。通常、番匠ロールは二人の編集コーチが受け持つ。次期の44[守]では、新しい番匠が立つことになった。両者とも、43[守]師範からの抜擢となる。新番匠の井ノ上裕二(38[守][破]熱線シーザー教室師範代)と和田めぐみ(39[守]・40[破]サラーム同堂教室師範代)、そして学匠の鈴木康代に番匠ロールについて聞いてみた。

 

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――番匠の役割とは、どういうところにあるのでしょう。

 

和田:現在のところ100%手探り状態で、とにかくなんでも言挙げしていこうという決意だけで走っていますが、まずはやはり、学匠の右腕・左腕、助さん・格さんというイメージですね。

 

44[守]番匠・井ノ上裕二。イシスの異端児が、いよいよ学匠の参謀となる。

 

井ノ上:昨期までやっていた師範については「遊撃隊」と見立てていましたが、番匠は「参謀」かなと。大前研一さんの著書にある「参謀五戒」をヘンシュー的に言い換えて、懐に忍ばせています。

 

鈴木:はい。金剛力士像のような阿吽の呼吸で、[守]の方法から編集的世界観へひきつけるなにかを期待したいですね。これは師範も同じですが、当期[守]稽古だけでなく、編集学校のウチソトを繋いでいって欲しいとも思います。

 

井ノ上:和田さんは、井ノ上の荒いパスを受け止めて、適切にならす力があります。

 

鈴木:井ノ上さんと和田さんに期待したのは、シーザーとサラームですから、それぞれの目指す向きというか、憧れが違うのではないか、ターゲットが両極なのではないか、創発の編集をおこせるかもしれない、というところですね。

 

――するとさしづめ、井ノ上番匠が阿形、和田番匠が吽形というところでしょうか(笑)。番匠は学匠の脇に控える、サブディレクターというところですか。

 

和田:師範・師範代の「孫の手」でもありたいなと思っています。指南やコーチングの加減に迷っている現場のコーチの後押しをするような。とにかく奥にあるのは、編集への好奇心なんですよね。学衆さんに、楽しい、充実した、好奇心をかき立てる稽古体験をして欲しいです。

 

44[守]番匠・和田めぐみ。沈着にあらゆる事態を受け止める編集で、講座を俯瞰する。

 

鈴木:番匠は、自由度の高いロールですよね。ペアでいるので、たしかに相手と違う動きをすることも必要とされ、「間と隙の職人」というところもあります。お二人に、番匠という一段違うところで全体を見る目を持ってもらいたいという思いもありました。

 

井ノ上:師範代・師範の時は、同期の編集コーチの動きはあまり見ず、目の前の与件のみに集中する方法をとってましたが、番匠ロールでは、ちゃんと全体を追っていかねば、と自戒しています。

 

和田:教室に立ち続ける師範代に「なっていく」醍醐味を味わってほしいです。多層に、多角に、場を展開して、束に「なっていく」プロセスをつくっていくお手伝いができればと思っています。

 

井ノ上:44[守]は実力派の師範が揃ってます。師範代は初登板が多く、大ベテランの再登板のようなこともありません。この結果どうなるか、不確定性も楽しんでいきたいです。

 

[守]学匠・鈴木康代。イシス屈指の千里眼編集の使い手は、実は泣き虫でもある。

 

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 井ノ上は海外在住歴20年のベテラン駐在員として、今はタイ法人と日本法人の間に立ち、和田は立正佼成会の職員として、やはり聖俗の間を取り持っている。本業でも「間と隙の職人」として腕を鳴らす二人が、ウチとソトの境界線を大いに活性化してくれそうだ。開講は、2019年10月21日。44[守]にマレビトよ、来たれ

 

  • 川野貴志

    編集的先達:多和田葉子。語って名人。綴って達人。場に交わって別格の職人。軽妙かつ絶妙な編集術で、全講座、プロジェクトから引っ張りだこの「イシスの至宝」。野望は「国語で編集」から「編集で国語」への大転換。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。