この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

●書名:『ウイルスの意味論 生命の定義を超えた存在』山内一也/みすず書房
書名:『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』吉川浩満/朝日出版社
書名:『身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』
ナシーム・ニコラス・タレブ、望月衛(監訳)、千葉敏生(訳)/ダイヤモンド社
ヒトの遺伝子の半分は、過去に感染したレトロウイルス由来のものであるらしい。
昨今、新型コロナウイルスパンデミック下の状況がウィズコロナと呼ばれたり、その後を見据えた目標としてアフターコロナという言葉が声高に叫ばれたりしているが、わたしたちはそもそもとっくにウィズコロナ状態だったいうことだ。そしてこの先もずっとウイズコロナであり続けるのだろう。
『ウイルスの意味論』において、山内先生は、「ウイルスは細胞の中で生きて、細胞の外では死んでいるのです」と云う。つまりウイルスはわれわれと共生する時に生命として輝く、ということだ。山内先生は「ウイルスは身体を捨てて情報として生きるのです」ともいう。乗り物を変えながら広がるなんて、たしかにまるで情報である!
ウイルス学という学問を越えて、ウイルスのふるまいを別の現象に見立てていけば、SNSやテレワークの方法を含め、まだまだ色々なことを学べる気がする。ダーウィンの進化論を絶滅という観点から見直した『理不尽な進化』と、理不尽さに反脆弱と「なるべくリスクを冒せ!」と読者の背中を押すタレブの最新作『身銭を切れ!』。この2冊は単独でも十分に読みごたえがあるが、ウイルスの意味論というスコープを持って読むと、ウィズコロナならではの見方が得られるだろう。
ウイルスまみれのわたしに気づき、情報パンデミックを乗り切る方法を見つける、今まさに必読、必携の三冊。
●3冊の本:
『ウイルスの意味論 生命の定義を超えた存在』山内一也/みすず書房
『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』吉川浩満/朝日出版社
『身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』ナシーム・ニコラス・タレブ、望月衛(監訳)、千葉敏生(訳)/ダイヤモンド社
小倉加奈子
編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。
「御意写さん」。松岡校長からいただい書だ。仕事部屋に飾っている。病理診断の本質が凝縮されたような書で、診断に悩み、ふと顕微鏡から目を離した私に「おいしゃさん、細胞の形の意味をもっと問いなさい」と語りかけてくれている。 […]
苗代主義と医学教育◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:小倉加奈子
医学知識が2倍になるまでにかかる日数を調査した研究がある。1950年頃は、50年かかっていた試算が、私が医学部を卒業した2002年ころには5年、そして2020年の段階ではどうなっていたか。──なんと、73日である。 &n […]
漢方医学という方法◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:小倉加奈子
干支は、基本的に中国やアジアの漢字文化圏において、年・月・日・時や方位、さらにはことがらの順序をあらわし、陰陽五行説などと結合してさまざまな占いや呪術にも応用される。東洋医学の中でも「中医学」は、主にその陰陽五行説を基盤 […]
クリスマスを堪能するドクターたち◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:小倉加奈子
◆メス納め?ガス納め? 365日、年中無休の医療機関。クリスマスも正月もない、というイメージをお持ちの方が少なくないと思うのですが、年末の院内行事はかなり華やかです。コロナ禍ではさすがにそんな余裕はありませ […]
現在、MEdit Labでは、高校生たちに医学をテーマにしたボードゲームづくりを体験してもらっている。私が書いたコラムに「いいね!」してくれた、ただそれだけを伝手に、強引にもお近づきになった山本貴光さんが、ずっとこのワー […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。