「脱編集」という方法 宇川直宏”番神”【ISIS co-missionハイライト】

2025/06/05(木)12:00
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2025年3月20日、ISIS co-missionミーティングが開催された。ISIS co-mission(2024年4月設立)はイシス編集学校のアドバイザリーボードであり、メンバーは田中優子学長(法政大学名誉教授、江戸文化研究者)はじめ、井上麻矢氏(劇団こまつ座代表、エッセイスト)、今福龍太氏(文化人類学者、批評家)、宇川直宏氏(現”在”美術家、DOMMUNE主宰)、大澤真幸氏(社会学者)、鈴木健氏(スマートニュース株式会社 共同創業者 取締役会長)、武邑光裕氏(メディア美学者)、津田一郎氏(数理科学者)、鈴木康代氏(イシス編集学校 学匠)の総勢9名。このたび、2シーズン目を迎えるにあたり抱負を語った各メンバーのメッセージに焦点を当て、ミーティングのハイライトシーンをPOSTする!!!!

 

本気の人間が50人いれば世界は変わる

 僕はほぼ平日毎日5時間配信しています。2010年から開始したプロジェクトなので、今年で15年になります。それまではミュージッククリップのディレクターをやっていました。つまり、毎日、編集していたわけです。

 怒涛の編集人生を12-3年間重ねてきたうえで、果てなき編集から逃れたくて、編集しないでいい方法を探るためにライブストリーミングを選んだ。つまり、自分の立場というのは「脱編集」の側なです。松岡正剛校長が、僕のことをこのco-missionメンバーに誘ってくれた理由というのは、たぶん「脱編集」のコンセプトを貫いている人物を異分子として組み込んでおきたかったからだと思うんですね。

 そこで今日、いろいろな資料を見させていただいたり、説明をしていただいた中で、即興で自分なりの考えをメモっていたのですが、その中に「本気の人間が50人いれば世界は変わる」という松岡校長の言葉がありました。

 松岡さんがおっしゃっているんだから、本当に「本気の人間が50人いれば世界は変わる」んだと思います。ただ、ひとつそこから自分なりに展開させて思ったことがありまして、50人いればむしろ新しい世界ができてしまうから、それによって世界は変わるのではないかとも考えたわけなんです。これは、ある種のメタ変革で「反対の賛成なのだ」は赤塚不二夫さんがパカボンのパパに託して残した言葉ですが、これと結構近いニュアンス持っているのではないかとも僕は思いました。そして、ここで初めて世界が「世界たち」になるのだとイメージできました。

 

DOMMUNEが生み出す「世界が変わった状態」

 ところで、先ほどもお話したように、僕はほぼ平日毎日、渋谷パルコ9階のスタジオから5時間配信しています。長尺ですよね。昨日(2025年3月19日)はジョージアの首都トビリシからアーティストを迎えました。今日もこれから夜7時にベルリンとベルギーからアーティストがやって来ます。こんなふうに、世界中のアーティストがパルコ9階のDOMMUNEの磁力に惹きつけられて漂流してきている状態で、海外のアーティストとの交流が自分の日常になっています。そして、ここで重要なのがタイムラインです。

 もちろん世界のアーティストが出演していたとしても、当然、時差があるわけで、世界中で同時に見ている人は限られるわけですが、少数の濃厚なビューワーたちは視聴してくれています。ここで何が重要かといえば、「熱狂の構造」というものを毎日、DOMMUNEで目の当たりにしてるということです。つまり、松岡校長が「50人いれば世界は変わる」とおっしゃったように、配信中において、そのタイムラインに50人の熱狂が集めれば、日々「世界が変わった状態」を味わっているとも言えると思うんです。しかも毎日全く違う文化圏のビューワーが集まるので、その世界の変化は尚更です。

 つい先日は映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の番組をやったんですが、さきほどお名前の出ていた小室等さんも出演してくださいました。松岡さんと小室さんは生前親しくされていたようで、その時に小室さんが話していたのは、タブロイド新聞「the high school life」で松岡さんから取材を受けたときのエピソードでした。ボブディランの映画の番組なのに、そういう話がポロっと出てくるわけです。その流れで僕らが「the high school life」のレアな誌面を即興で映し出したら小室さんが驚いて、松岡さんの黎明期の仕事を語り、ビューワーはその歴史に触れるきっかけになった。こういう時こそ、配信中のタイムラインにおいて新しい世界が生まれ「世界が変わった状態」が訪れたと感じる訳です。

 

ガチ勢と一緒に「編集を人生する」

 ただ、ここから問題は何かというと、その「世界が変わった」熱いつまでも冷めずに続いていく状態をどう維持していくのかということです。その熱を保つシステムを考えるうえで注目したいのが、今日配布されたペーパーに書かれていることですが、「インタースコアしたい例として『LGBT』『格闘技』『芸能』も仲間にする」とある。ここには「芸術」じゃなくて「芸能」と書いてある。これは松岡校長の遺言として注目しないといけないなと僕は思っています。

 そこでまずは「インタースコア」をどう捉えるか。インタースコアというのは相互記譜システムのことですよね。つまり、2つ以上のスコアに着目して、これらを合わせたり、重ねたり、競わせたり、揃わせたりする。このインタースコアを重ねていくときに「格闘技」と「LGBT」と「芸能」を巻き込もうというのが遺言に書かれていることですね。つまり、これって、熱狂を生み出すガチ勢を巻き込めってことじゃないですか。

 DOMMUNEで日々熱狂を作り、それを味わっている僕らからすれば、これは絶対的に正しいといえます。特に気になるのは、ここに「芸能」って書かれていることです。そもそも、芸能とは何か。熱狂の構図そのものをビジネスにしているのが芸能なのではないか。

 ガチ勢の「ガチ」の語源は、真剣勝負などを意味する「ガチンコ」から来ているわけですよね。つまり、人生を賭けて全力である物事に取り組んでいる人がガチ勢なんだと思うんですね。そういうコアな経験を有する人達と一緒に「編集を人生すればいいのだ」と松岡校長の遺言に書かれていると読み込むことはできませんか。そして、ここであらためて「人生を編集するのではなく、編集を人生する」というフレーズと、インタースコアの今世紀的なあり方を重ねて考えてみるということが僕はかなり重要だと思っています。

 

「脱編集」という方法

 そこでキーワードになるのがやはり「脱編集」だと思ったんですね。冒頭でもお話した通りです。僕は30代はまともにないで、ミュージッククリップを作り続ける「編集する人生」を送っていたんですが、しっかり眠れる、つまり毎日毎日新しく「世界が変わる」人生をどう構築していくかを考えて、脱編集に取り組みました。それがライブストリーミングという方法でした。つまり、今を生きる方法と向かい合った。このように「脱編集」「反編集」をこの15年間、僕はやってきました。DOMMUNEは時間が来たら必ず終わる。アーカイブは蓄積されるけど、編集はしないという方法で、逆説的に改めて編集とは何かを考え続けてきました。その上でさらに「編集を人生する」とはどういうことだろうと考えたみた時に、それはまさに今自分がやっていること、つまり編集そのものを生き直すことなのではないか。それこそ、AIにはできない編集のあり方の一つではないかと思うわけです

 

 

 

【宇川直宏”番神” エディスト記事一覧】

編集工学2.0×生成AIで「別様の可能性」に向かうー―イシス編集学校第54期[守]特別講義●宇川直宏の編集宣言レポート

【ISIS co-mission INTERVIEW03】宇川直宏さん― 生成AI時代の編集工学2.0とは

生成AI時代における「編集工学2.0」!!!!!!!

【AIDA】魔術の時代から妖術の時代へ!!!!! 日常に溶け込む妖怪の処世術を学べ!!!!!【宇川直宏インタビュー全文掲載】

 

 

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。