この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「神話が足りない」
5月も終盤へと向かい、6月の梅雨の時期に入ろうとしていますね。日本国際博覧会協会(万博協会)が大阪・関西万博の5月23日の一般来場者数(速報値)が約13万9千人だったと発表しました。開幕日の約12万4千人を上回ったようです。これからも盛り上がってゆくでしょう。時期を同じくして、イシス編集学校の[破]応用コースの熱量を増幅するための師範代の研鑽会である54期の破天講が豪徳寺駅近くの編集工学研究所で5月24日に開催されていました。
現在の破コースは「クロニクル編集術」の登山シーズンですね。学衆たちは自らと課題本の年表づくりを通じて、お題山脈の頂上を目指し歩いているようです。「文体編集術」を含めて教室運営や指南についての課題などを師範代が説明し、師範たちが応接します。創文(作文)の際に自らの「見方づけ」が不足している学衆への指南に苦戦している師範代に対して、破コースの作品に講評をおこなう目利きである評匠・岡村豊彦が校長・松岡正剛が編み出した「並木が呼ぶ虫」の型を手渡していました。
な → 名付けてみたら?
み → 未来から見たら?
き → 切り捨ててみたら?
が → 外人になってみたら?
よ → 世のために考えてみたら?
ぶ → 分類してみたら?
む → 昔に帰ったら?
し → 知らせるつもりになったら?
学衆がこれらの型を使って情報の持つ属性や背景を動かせば、未知に進むことができそうです。
評匠たちのメッセージの後、神話に登場する英雄伝説の構造を使って物語を創文(作文)する「物語編集術」での指南に向けた師範・小林奈緒のレクチャーをダイジェストでレポートいたします。
「並木が呼ぶ虫」の型を伝える評匠の岡村
◎物語マザーの中の英雄伝説
物語編集術の稽古の前半では、課題として渡される映画に登場するキャラクターの意味を捉え、さらにストーリーを構造的に分節化します。構造となるのが「英雄伝説」の型になるのですが、この型は校長・松岡正剛が整理した物語の基本型「物語マザー」の1つである「往還マザー」(セパレーション、イニシエーション、リターンの三部構成)のカテゴリーに入ります。最初のセパレーションは主人公にとっての原郷(here)の世界から、得意武器が通用しない向こう(there)の世界への出発を意味します。イニシエーションは困難であり、原郷へのリターンの段階では何らかの宝物を得て帰還しますが、thereの世界が魅力的で後ろ髪を引かれるような場合もあるようです。
師範の小林はジョーゼフ・キャンベルとビル・モイヤーズの対話本『神話の力』を引用しながら、往還マザーのアーキタイプ(原型)は「神話」にあると伝えていました。型を用いて課題映画の意味や構造を抜き出し、新しい物語へと翻案(転移)させるプロセスを稽古することで、現代社会に不足している神話を取り戻し、人間性の根本に触れて、生きる実感を得ることができるのです。
『神話の力』について語る師範の小林
◎英雄とは何なのか
『北欧神話』における隻眼の神・オーディン、『日本神話』における泣き虫・スサノオ、『一寸法師』の3センチメートルサイズの主人公など、英雄と呼ばれるキャラクターには弱点がありました。英雄は敵対者をなぎ倒すような強さだけでなく、弱い側面が必要となります。「たくさんのわたし」を持っておく必要があるのです。『スターウォーズ エピソード4』の主人公・ルークも両親の不在という不足がありましたね。
主人公は英雄伝説の冒険を通じて、敵対者の策謀による困難との遭遇によって擬きとしていったん死んで、相転移する必要があります。子どもから大人になるくらいの大きな変化が必要となるのです。
ストーリーが進むにつれて主人公は真の目的を察知して敵対者との闘争に向かいます。師範の小林は敵対者側にも何かしらの論理が必要と説きました。最後の闘いは論理と論理のぶつかり合いになるのです。もしも敵対者に論理が無ければ、ホラー的なストーリーになり、英雄伝説の構造から外れてしまいます。課題映画『エイリアン』の主人公はエイリアンと闘いを行いますが、不気味なエイリアンが敵対者ではありません。映画の背景を俯瞰的に観ることで、真なる敵対者が隠されていることに気づけるでしょう。
神話における英雄とは何か
◎強い敵対者が必要だ
これまでの物語編集術から生まれた作品の敵対者は、肉薄するはずのシーンで主人公にあっさりと倒されていないか、と師範の小林が問いかけます。主人公が強くなったとしても、敵対者に勝つのか/勝たないのか、極限状態へと追い込まれる方が、読み手の心臓を強く握ることになるのです。
レクチャーを終えて、破コースを取りまとめる学匠の原田は「神話を読むことで生きている実感がある」ことへの見方づけを語っていました。現代社会では安全性が極端に重視されており、「生きていて良かった」「危なかった」という生死の境界線の一歩手前になるシーンに出会うことが減っています。リアルの世界で出会わない状況であったとしても、よくよく練られた英雄伝説の構造を持つ物語を創文(作文)することで、生きている実感を取り戻すことができます。弱かった主人公が強い敵対者に勝つことにより、脳内で物語の洪水が起こり、神経物質のドーパミンが流れそうですね。
学匠の原田による物語編集術レクチャーについての見方づけ
レクチャーの後に師範代向けのワークが行われていました。課題映画2本のキャラクターの背景となる情報を読みとりつつ、ワールドモデルを平安時代と江戸時代に設定した新しい物語づくりの練習をしていたのです。
今回の破天講で6月中旬からスタートする「物語編集術」の指南に向けた用意が着々進んでいました。物語を自由に、もっと登場人物を自在に動かす稽古が行われそうです。
<参考>
東京新聞「万博の一般来場者数、最多更新 13万9000人、23日速報値」2025年5月24日11時56分
畑本ヒロノブ
編集的先達:エドワード・ワディ・サイード。あらゆるイシスのイベントやブックフェアに出張先からも現れる次世代編集ロボ畑本。モンスターになりたい、博覧強記になりたいと公言して、自らの編集機械のメンテナンスに日々余念がない。電機業界から建設業界へ転身した土木系エンジニア。
「言葉の学校であるが、イメージについて語りたい」 4月末からのゴールデンウイークが終わり、初夏に向けて最高気温も上昇中です。フィクションでの枢機卿たちの思惑を描く『教皇選挙』が上映されて架空の教皇が選出されていました […]
<速報>REMIX校長校話「あやかり編集力」三匠対談に迫る(179回伝習座)
桜の開花とともに4月に入り入社式、入学式、始業式が一斉に行われていますね。イシス編集学校も4月から5月にかけて、55期の基本コース[守]、54期の応用コース[破]の講座がスタートします。フレッシュな顔立ちをした通勤、通 […]
「可能性を生み出すカオスをいつも保ちなさい」田中晶子所長メッセージ【86感門】
イシス編集学校には学衆から師範代へと衣替えするための編集コーチ養成所「ISIS花伝所」があります。花伝所での5М(Model、Mode、Metric、Management、Making)を通じた8週間の短期間で、師範か […]
間もなく桜の開花シーズンですね。自然の美しい風物を示す花鳥風月の内、優しい色をした花によって生命の息吹が伝わってきます。ニュースを確認すると東京の開花は3月24日の予報のもよう。一足先の15日にイシス編集学校における修 […]
京都市伏見区の長尾天満宮で地元の子ども達がたくさんの石段を駆け上がるイベントが3月8日にあったようですね。翌日9日にはイシス編集学校の[破]応用コースおける学びのダッシュを終えた修了を寿ぐお祭り・感門之盟が平安神宮近く […]
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。