【多読アレゴリア:大河ばっか!】べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ 筆文屋一左のお誘い

2025/05/06(火)18:10
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 噺の皮切り、まずはご挨拶とまいりましょう。あっしは筆文屋一左と申します。江戸は本所、裏長屋。そもそも『大河ばっか!』とのご縁も、向こうの見窄らしい男がひょっこり訪ねてきて、「大河ドラマを“型”にはめてみたいんでさァ」と申したのが始まりで。最初は眉唾だと思っていたら、これがどうして、やってみりゃあ実に面白い。気がつきゃあ筆を取らされ、いまじゃこんな案内文まで書いてる始末でござんす。

 昼は煎餅齧りながら本を読み、夜は行灯の灯りの下、物語の骨をなぞるのが日課でござんす。看板こそ掲げませぬが、物語の裏道・抜け道をそぞろ歩くのがわたくしの十八番。今宵はその隅っこの筆先、ひとつご笑覧いただければ幸いにござんす。

 さて、放送まっただ中の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。吉原育ちの本屋蔦重が、筆と企てを武器にどこへ行くのか――その足どりを、“物語マザー”と呼ばれる五段の構えにあてがって、ひとつ見立ててみようという趣向でござんす。

物語マザー・五段の構え

 

一、原郷からの旅立ち
二、困難との遭遇
三、目的の察知
四、彼方での闘争
五、彼方からの帰還

 

 “物語マザー”てえのは、ジョセフ・キャンベルの「英雄の旅(出発・試練・帰還)」を、よりきめ細かく五つにおろした、いわば物語の五枚下ろしの包丁でござんす。マグロを丸かじりするより、きっちり切り身にして味わったほうが旨いもんで。この“物語マザー”で物語の骨と筋をすぱっと切れば、構造も風味もよう見えてくるという寸法にござんす。

 ちなみに昨年の冬には、大河ドラマ『北条時宗』(二〇〇一年放映)にてこの包丁を使い、蒙古に立ち向かった北条時宗の旅路を、五段構造で読み解いたこともございました。
 

 今回は、とりわけ第十五回「死を呼ぶ手袋」、第十六回「さらば源内、見立は蓬莱」に注目しておりやして。このあたりが「目的の察知」に、ぴたりとはまると『大河ばっか!』では睨んでおる次第。

 では今一度、いままでの蔦重の旅路、順に辿ってまいりましょう。

一、原郷からの旅立ち

 

 明和九年の春先、江戸を襲った火事は、吉原もろとも町の一部を呑みこみやして。火除け地をも越えて火が走りゃあ、畳も屋根も丸焦げ、まさに地獄の釜の蓋が開いたかの有様。そりゃあもう、蔦屋重三郎にとっちゃあ、“原郷”がまるごと炭になったようなもんでござんす。

 その後には、河岸見世の女郎・朝顔姐さんが寂しく息を引き取りました。幼い蔦重に本を読み聞かせをしていた朝顔は、蔦重にとっちゃ心の原郷――けれど、それもまた手の中から静かにこぼれていったんでござんすな。

 その頃の吉原ときたら、岡場所に客を奪われ、女たちは飢え、誇りを削られていた。夢も希望も持てねえ場所で、売られてきた女郎が笑って出ていけるなんて、誰もが口にしない、いや、できなかった希望だった。

 けれど、蔦重は言うんで――

「女たちが誇りを持って、笑って大門を出ていける吉原にしたい」

 その夢は、のちに瀬川とも分かち合うことになる、“吉原再生”という社会的な夢。けれど、その志は、奉行所にも通らず、田沼意次の屋敷でも一蹴される。

「吉原に人を呼ぶ工夫をしているのか?」

 そう返されちまった言葉が、蔦重の胸をぐさりと突いた。夢と理想だけじゃ、世の中は動きやしねぇってことですな。

 その上、「お上に目ぇつけられるような余計なことすんな」って忘八衆の怒りを買って、蔦重は桶詰め三日三晩。ところが、です――その密室が、まるで“知恵の湯殿”。ぐつぐつ煮えて、泡から浮かび上がってきたのが、『吉原細見』の再編集というアイデア。それが蔦重の旅の第一歩となったのでござんす。


二、困難との遭遇

 さてさて、ここからが“試練の段”でござんす。蔦重は、『吉原細見』『一目千本』と、あれやこれやと仕掛けては、吉原を文化の力で盛り返そうと足掻きます。筆と商いの両の車で、女たちの“誇り”を取り戻さんとする、その心意気は見上げたものでござんす。

 けれど、世の中ってのは、そう都合よくはいきやせん。

 “名を売る”ってことは、ときに“名ばかりがひとり歩き”しちまう。目立てば目立つほど、女たちは“記号”として消費され、“消費の器”に押し込められてしまう――まるで錦絵の中に閉じ込められたようなもんで。

 名跡「瀬川」を継いだ花の井もその一人。江戸一の花魁と持ち上げられ、ついには金貸しの鳥山検校の目にとまる。その一件、まさに蔦重が仕掛けた細見の“副作用”――おっとと、薬も過ぎりゃ毒になるってやつですな。

 とはいえ、瀬川も夢を見てたんで――蔦重と同じく「誇りある吉原をつくる」という大きな夢を。それが二人を結んでいた確かな芯でござんす。

 けれどそこに、ちいさな願望の芽がひとつ。「一緒に暮らしたい」――そんなささやかな願いが芽吹いたとき、夢は夢でなく“ふたりの物語”に収まりかねなくなったんで。

 おまけに鳥山検校、ただの富豪じゃござんせん。座頭金の怨みを背負い、恨まれ憎まれ、ついにはその刃が瀬川へ向く始末。瀬川が身を引かねば、蔦重にも災いが及ぶ――そんな日がすぐそこに迫っていたのでござんす。

 やがて鳥山検校は御用となり、瀬川はようやく自由の身。蔦重はここぞとばかりに願いを口にします――「一緒に生きよう」と。

 だが瀬川は、黙って首を横に振ったんで。

「蔦重には、夢を見続けてほしい」

 それは“願い”を手放して“夢”を未来へつなぐという“撤退の贈与”。いることより、いないことの方が、強く語れることもあるんでござんすな。

 瀬川も去り、志の灯がふっと揺らいだそのとき、蔦重の傍らにいたのは、あの奇天烈にして奔放な男――平賀源内でござんした。

 

三、目的の察知


 平賀源内、筆も口も達者なお方で、世の中ひっくり返すくらいのアイデアを抱えていたってのに、最期は誰にも理解されぬまま、獄の中。言葉が行き場を失えば、人はこんなにも簡単に消えてしまうのか――それが蔦重の胸に、ずしんとのしかかります。

 だが実のところ、源内先生は殺しなんぞやっちゃいなかった。幕府という体面の鬼が、世間の目を恐れて濡れ衣を着せたんでござんす。言い分を語る場もなく、無実を叫ぶ暇もないまま、殺人犯として獄死しちまった。これが、この国の仕組みの不条理、語れぬ者の末路というやつでござんす。

 その源内の墓前で、蔦重は思い出します。あの言葉――

「お前さんは版元として書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にするんだよ」

「わが心のままに生きる。それを“わがまま”に生きるというのよ」


 かつては“吉原の名を売る”ことに力を注いでいた蔦重でしたが、そこでようやく気づくのでござんす。名を売ることと、語らせることは、似て非なる。記号にして売るのではなく、語りが立ち上がる“場”を耕すこと。それこそが出版の本懐なんじゃないかと。

 遊女たちも、瀬川も、源内も、声を持ちながら語れなかった。制度の外に追いやられ、言葉を奪われた存在たち。その“声なき者たち”のために、蔦重は“場”を耕す覚悟を決めたんでござんす。

「俺も伝えていかねぇとな。源内先生から貰った名前と、その意味を」


 源内からもらった“耕書堂”――そいつはもう単なる屋号じゃねぇなぁ。声なき者たちのための“語りのトポス”を耕す旗印。蔦重は“耕す者”へ、しっかり立ち位置を変えたのでござんす。


四、彼方での闘争

 さて舞台は移って、花のお江戸・日本橋へ。情報が行き交い、人が集い、文化と商いが入り乱れる中心街。ここで蔦重は、自らの細見をどう通わせ、どう戦わせてゆくのか。

 もうそこに、甘えはない。“版元”としての覚悟と、“耕す者”としての信念を、いかに振るうか――まさにそれが、彼方での闘争でござんす。

 ……と、人の旅路を眺めつつ、ふと我が身に引き寄せてしまうのが読み手の業(ごう)でござんす。読み手であっても、筆をとれば語り手。語り手であっても、耳を傾ければまた読み手。

 『大河ばっか!』はそんな、読みと語りの往来宿。型にあてたり、ずらしたり、こねくり回したりしながら、物語という名の江戸路地をそぞろ歩いております。


 物語には、春夏秋冬、それぞれに開く入り口がござんす。

 

 春――物語の芽もほころび、誰が誰やらの運命を、花吹雪に紛れて追いかけてみたり。

 夏――風鈴が語る音を背に、団扇を片手に、登場人物の揺れる心を味わってみたり。

 秋――行灯の灯りに頁を透かし、語りの余白に自分の影を見つけてみたり。

 冬――湯気立つ茶碗を囲んで、志や報われぬ願いを、ゆっくりと温めてみたり。

 

 読むもまた物語、語るもまた物語、

 そっと眺めるも、立ち止まるも、ぜんぶ物語のうちでござんす。


 さァて、そこのお方。
 長椅子に腰かけてるばかりじゃあもったいない。次に筆をとるのは、あなたかもしれやせんぜ?

 『大河ばっか!』にて、いつでも席は空けてありやす。桟敷の一隅、筆と茶と、そして一席、あなたの分。


 筆文屋一左、筆をひとまずおき申す。
 けれど次なる段、またご一緒にひらいてまいりましょうぞ。物語の湯気が、また立ちのぼってきやしたゆえ――。


*:大河ばっか組!:大河ドラマを追いかけるクラブ「大河ばっか!」を運営する筆司(ひつじ、と読みます)たちの総称。2004年放映の『新選組!』にあやかり命名。


多読アレゴリア2025夏 大河ばっか!

【定員】20名

【申込】https://shop.eel.co.jp/products/tadoku_allegoria_2025summer
【開講期間】2025年2025年6月2日(月)~8月24日(日)
【申込締切】2025年5月26日(月)

【受講資格】どなたでも受講できます
【受講費】月額11,000円(税込)
 ※ クレジット払いのみ
 ※ 初月度分のみ購入時決済
 以後毎月26日に翌月受講料を自動課金
 例)2025夏申し込みの場合
 購入時に2025年6月分を決済
 2025年6月26日に2025年7月分、以後継続


 

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十五

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十二(番外編)

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べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その七

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一

 

緊急瓦版!『多読アレゴリア 大河ばっか!』ーー本が連なり、歴史の大河へ

大河ばっか!①:「大河ばっか!」の源へ(キャラクター・ナレーター編)

大河ばっか!②:「大河ばっか!」の源へ(物語マザー編)

大河ばっか!③:「大河ばっか!」の源へ(温故知新編)

大河ばっか!④:「大河ばっか!」の源へ(シーン編その1)

大河ばっか!⑤:「大河ばっか!」の源へ(シーン編その2)

 


 

2025夏 多読アレゴリアWEEK

募集開始★多読アレゴリア 2025・夏スタート!!!!!!!

 

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軽井沢のトポスを編む旅へ。

 

▼大河ばっか!

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ 筆文屋一左のお誘い

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    多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。

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コメント

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 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10

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2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。