「遅延」が常識に対する対抗策になる 武邑光裕さん【ISIS co-missionハイライト】

2025/05/05(月)08:06
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2025年3月20日、ISIS co-missionミーティングが開催された。ISIS co-mission(2024年4月設立)はイシス編集学校のアドバイザリーボードであり、メンバーは田中優子学長(法政大学名誉教授、江戸文化研究者)はじめ、井上麻矢氏(劇団こまつ座代表、エッセイスト)、今福龍太氏(文化人類学者、批評家)、宇川直宏氏(現”在”美術家、DOMMUNE主宰)、大澤真幸氏(社会学者)、鈴木健氏(スマートニュース株式会社 共同創業者 取締役会長)、武邑光裕氏(メディア美学者)、津田一郎氏(数理科学者)、鈴木康代氏(イシス編集学校 学匠)の総勢9名。このたび、2シーズン目を迎えるにあたり抱負を語った各メンバーのメッセージに焦点を当て、ミーティングのハイライトシーンをPOSTする!!!!

 

「型」と「型破り」と「型なし」

 「ワールドモデル」の「モデル」という言葉が非常に重要だと思っています。日本語で言えば「模型」、つまり何かを模倣した形のことです。私自身、子どもの頃にプラモデルに夢中になっていた時期がありましたが、模型というのは何かを模して作られた形ですよね。

 そして、この模倣された「型」に対して「型破り」という概念が生まれます。つまり型を破るには、まずその「型」=模型が何であるかを特定しなければならない。しかし、「模型」が曖昧なまま、「世界」という非常に抽象的な枠組みの中で「型破り」をしようとすると、その「型」自体が不明確となり、いわば「型なし」になってしまう。

 

テクノロジーの発展による「速度の増加」が急速に進んだ

 私は「ワールドモデル」を考える上で、「ルール」「ロール」「ツール」の“ルル3条”を軸にして考えたいと思っています。

 まずはルールについて。これは慣習や常識、共通感覚といった、日常を支配しているものでもあります。いつもこれらを見直す必要があると思います。なぜなら、時間の経過とともに常識や慣習、共通感覚といったものは変化するからです。中世と現代とでは、それらはまったく異なっている。

 特に2000年以降、テクノロジーの発展による「速度の増加」が急速に進んだことで、常識や慣習、共通感覚も大きく変化しています。この変化は、身体構造の変化やアルゴリズムの進化など、さまざまな要素に起因しています。こうした支配的な常識は、ポジティブな側面もありますが、同時にそこから脱却する自由が求められる時代にもなっていると感じます。

 私たちは今、常識に対して異議を唱えづらい社会に生きています。しかし、その常識の中身は、しばしば大きな社会的・政治的な意味を持ち、しかもメディアやアルゴリズムによって大きく操作されることがある。つまり、常識というものが、政治や社会規範と密接に結びつく時代に、私たちはすでに足を踏み入れているのです。この状況を再認識することこそ、「ワールドモデル」を見つめ直す第一歩になるのではないかと思います。

 

「遅延」や「減速」が常識に対する対抗策になる

 次に「テクノロジーが牽引する速度」についても考えてみたいと思います。例えばジョギングをする時、人は一定の距離を走ることで疲労を感じたり、足にマメができたりします。そうした身体的な反応を通じて、自分の年齢や体重、生命時間を意識する。しかし、速度を機械に委ねてしまうと、この「速度」の感覚は根本から変わります。人間の身体はプロセスの外側に置かれ、純粋なスピードのエクスタシーにアクセスするために、機械を必要とするようになる。そうした速度環境が、20世紀後半から現在にかけて、私たちのワールドモデルを大きく変えてきたのだと思います。

 このような速度の加速に対して、逆に「遅延」や「減速」というアプローチも必要ではないか。AIの開発においても、最近では「減速論」が現れつつあります。つまり、テクノロジーの速度を抑えることが、常識や慣習、共通感覚を再構築するための一つの手段になるかもしれません。アルゴリズムや、速度を調整するためのテクノロジーなど、多様なツールも考えられます。以上、お話したことのどれか一つは、現在の常識に対する対抗策として考えられるんじゃないかなというふうに思います。

 

武邑光裕さんのメッセージをイシスチャンネルで公開しています。あわせてご覧ください。

 

ISIS co-missionハイライト

イシス編集学校の数学を考える 津田一郎さん

「遅延」が常識に対する対抗策になる 武邑光裕さん

 

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。