【輪読座】『風姿花伝』から『花鏡』へ 「用」から「体」へ

2020/05/31(日)21:00
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編集学校の「花」といえば、奥座敷とも士官学校とも形容される編集コーチ養成の場「花伝所」。
花伝所が体とするは「秘すれば花なり、秘せざれば花なるべからず」の世阿弥『風姿花伝(花伝書)』だ。

2020年6月1日、ISIS編集学校は開校20年を迎える。その前日、40名が現をまたいだサテライト空間に座す。

輪読座「世阿弥を読む」第二輪である。

 

 

第一輪で読み深めた『風姿花伝』図像の交わし合いから座が開く。
座衆の三名が自ら『風姿花伝』に肖った図像から、世阿弥の型と精神を言葉にする。

 

 


【座衆・阿曽祐子

芸を始めて達人となること、大陸から渡った芸能が「能」となること。そこに暗黙知から共有知へいたるin-outのプロセスを見いだした。
プロセスを三位一体で表象した図像。

 

【輪読師・バジラ高橋
これこそ風姿。次々に伝わり感染するものとしての「風」を、世阿弥は重視した。
当時、犬王(後の道阿弥)という素晴らしい演者がいた。世阿弥は犬王の方法も編集しており、それが『花鏡』に至る発展をもたらしている。

 

 

【座衆・平野しのぶ
三間連結を四つの象限に置き換える方法を軸に図像化。そこに「見えにくいもの」の斜線をあしらう。
「これから特に『離見の見』を深めていきたい」。


【輪読師・バジラ高橋】
『離見の見』はヨーロッパ哲学では解読できないコンセプト。
序破急については『風姿花伝』では少し触れられているだけだが、作能法や作曲法の基礎に置いて、そこから民間芸能から離脱し、独自の能作へ至ると考えた。

 


【座衆・山田細香
「世阿弥はとてもシステマティックで、私が能だと思っているらしさそのものが、世阿弥につくられたものではないか」という視座から萌芽した図像。
「既存の言葉を新たに概念化し、新たな意味づけとして能の言葉とする世阿弥の方法に驚いた」。

 

【輪読師・バジラ高橋】
これの視点も『二曲三体』や『花鏡』に発展する一つ。

先に挙げた「序破急」は、実は日本雅楽が作り出したシステム。奈良・平安時代に渡ってきた唐の音楽に対し、嵯峨天皇以来、100年をかけて日本雅楽独自の音程や音階をつくった。
それを世阿弥が引き抜き、音楽だけでなく、自然や物語も全部これでいけるのではないかと考え、新たに概念工事をした。これが小唄や歌舞伎、長唄などにも通じる日本音楽の基礎にもなっている。

 

 

伝書の一『至花道』では、花へ至る道の最高峰に「体用事」をおく。これは既に自分の型ができている、ということ。

花は「体」、花の匂いは派生した「用」。優秀な人をみたときも用ではなく型をまねなさい。どういう型かを見なさい。

 

バジラ高橋はいう。

 

「世の中の人は、型から派生した用ばかりを見ている。『型』が素晴らしい、と見ないといけない」

 

用から体へ。本気の型へ向かう輪読座。第三輪は6月28日(日)。門戸は今も開かれている

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。