この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

桜の開花とともに4月に入り入社式、入学式、始業式が一斉に行われていますね。イシス編集学校も4月から5月にかけて、55期の基本コース[守]、54期の応用コース[破]の講座がスタートします。フレッシュな顔立ちをした通勤、通学中の方が見かけることが多い1週間となりました。編集学校でも登板に向かう師範代や師範に向けた新鮮な特別講義が豪徳寺駅近くの編集工学研究所の本楼で行われていたのです。
田中優子学長初の伝習座講義の後に行われたのはREMIX校長校話「あやかり編集力」三匠対談でした。イシス編集学校の守破離の講座を取りまとめる守学匠・鈴木康代、破学匠・原田淳子、そして世界読書奥義伝「離」の学匠・太田香保が登場しました。第73回感門之盟(2020年3月開催)における校長講義の映像を観ながら、三匠が対話しつつ校長・松岡正剛の意図をリバースエンジニアリングしました。分節化された映像内の最初の3つのトピックを速報として紹介いたします。
◎「肖」の字義が持つ編集力
校長講義の映像内で松岡は「肖」の字義について説明しました。象形文字としてとらえたとき、肉付きの形をしており、骨と肉が卒なく出会います。2つのソロイが悪いと例えば「不肖の息子」となり、両親の心身が受け継がれないことになります。「肖る」とは単なる模倣や自己同一化とは異なり、他者や外部との関係線の中でダイナミックに自己を捉えなおすことになるのです。
会談のナビゲーションを行ったのは編集学校の林頭・吉村堅樹です。吉村から鈴木に「肖る」にまつわるエピソードを聞きました。学匠を引き受けたとき、ロールに対するイメージをマネージできないことを松岡に相談した当時のことを語ります。校長との対話を通じて、物語の主人公のようにフラジャイルな不足や欠けたものを丸ごとモデル化して困難を乗り越えるカマエが生まれ、ロールを引き受けることができました。
表象的なモノに肖ってしまうと不自由になる、もっと不足を含んだ深層に近づく必要があったのではないか、とのコメントが吉村からありました。『知の編集術』(講談社)の冒頭でも、「編集は不足からはじまる」と書かれていますね。
◎「モノ」に肖って発動する物語編集とプランニング編集
校長講義の映像で排水溝のステンレスネットなど、いくつかのモノが紹介されていました。ステンレスネットを上下を入れ替えてカメラをズームインすると、つばの広い帽子っぽく見えますね。私たちはモノづくりの際に、要素・機能・属性に加えて、モノのサイズを自分のアタマの中でイメージしています。サイズが変わるとわからないことがたくさん出てくるのです。
サイズの違いの影響を紹介するために松岡は千夜千冊エディション『宇宙と素粒子』(映像当時は未刊行)について触れました。タイトルは巨視的な宇宙と微視的な素粒子を関係づけていますね。モノのサイズを変えることで私たちの見方が変わり、想像力を動かすことができるのです。
[破]講座では物語編集術、プランニング編集術の稽古においてモノと関係づけることになります。破学匠の原田は抽象的な心や精神を使って物語やハイパープランを創るのではなく、モノに託すことで編集力が発動することを強調していました。破番匠(学匠を支えるロール)の戸田由香も物語編集のワールドモデルの中にモノを異質なモノを入れ込み、プランニング編集の対象となる「ハイパーミュージアム」を方法的に形作るのはモノであると伝えています。
◎物事を捉える「つかみ」の重要性
モノを「創る」から「使う」の間を動かすにあたって、松岡は編集学校の守講座で学ぶ「BPT」と呼ばれる方法の型を紹介しました。Bはベース、Pはプロフィール、Tはターゲットとなります。「つかみ」となるターゲットを設定して、大元のベースからプロフィールとなる道のりを進んでいきますが、途中で認識のズレとなるマイクロスリップを起こして別様の可能性となるターゲットに落ち着くこともあります。
何かを実行するときに先に脳内で全体像をシミュレーションする事例として、[離]の別当師範代・寺田充宏は富士山の山頂で歌う際に遠くの海に向かって届けることをイメージすることで、方法への意識が変わると説きます。海にまで人の声を届けるのは難しいですが、仮留めでもターゲットを決めておくことで編集プロセスが進みますね。
BPTの型をもっと大胆に使うために、松岡は「使う方が先でもよい」という仮説を持っていたようです。トンカチと釘抜きを入れ替えて使うような「ちぐはぐ」を行う思考実験をしていた、と松岡正剛事務所で長年仕事をしている太田が語っていました。
その後の松岡の映像では、心や精神や情感ではなくモノを通じて編集力を鍛える方が良いと感門之盟の参加者へ提案していました。モノを扱う[破]講座を受講するためには、[守]講座へ入門して、卒門(修了)する必要があります。未入門の方はコチラをクリックしてください。
畑本ヒロノブ
編集的先達:エドワード・ワディ・サイード。あらゆるイシスのイベントやブックフェアに出張先からも現れる次世代編集ロボ畑本。モンスターになりたい、博覧強記になりたいと公言して、自らの編集機械のメンテナンスに日々余念がない。電機業界から建設業界へ転身した土木系エンジニア。
<速報>「いったん死んでよみがえること」物語編集術レクチャー54[破]破天講
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。