東北の切実と逸脱の愉快と 第30回未知奥声文会

2020/05/26(火)15:47
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第30回未知奥声文会は「ポール・ヴィリリオの事故と哲学」で始まり、「バンクシーのアート」で終わった。
ヴィリリオが述べる事故をめぐり、原発事故とコロナ・エピデミックの相違と類似について討議を重ねた。バンクシーのアートについては「どのようにいまいちなのか」について“評価”の言葉が交わされた。
20年5月23日、第30回という節目に過去最大の十名の参加者である。

初参加の太田香保[離]総匠が、「ファンタジア」「世界の再魔術化」といった知の水脈を指し示した。[離]の渦中時には想像できない、柔和な表情をたたえながらであった。触発された6[離]の花岡安佐枝と12[離]の高野真俊の勘弁が熱を帯びる。

 

 

 

 

(右上から時計回りに、8[離]鈴木康代、太田香保[離]総匠、12[離]高野真俊、

12[離]小桝裕己・浦澤美穂夫妻と未知ちゃん、6[離]井ノ上裕二)

 

 

“表象”をめぐる議論には未知奥の切実も、逸脱の愉快もあった。
東北のコロナ・パンデミックは、中央との比較ではおとなしいものだが、どうしても原発事故を連想させる。
バンクシーのアートについては「魔術が足りない」という意見も寄せられた。

三時間にわたった声文会の後、太田総匠からは次のメッセージが発せられた。

 

「皆さまありがとうございました。そのうち校長も参加させていただくと思います」。

 

未知奥声文会は、[離]を退院したすべての者に門戸を開いている。
次回は6月20日(土)20時の開催予定だ。

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。