【田中優子の学長通信】No.04 相互編集の必要性

2025/04/01(火)08:00
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 イシス編集学校についての本の執筆を続けています。学衆、師範代、師範経験者の言葉に助けていただきながらの執筆ですが、その途中で、出版元になる予定の編集者から、熱意ある檄が飛ばされました。次のようなものです。

インターネット、SNSが普及している時代にあって、比較的若い世代の特徴でもありますが、「相互編集」がなぜ必要なのかの理解がうすく、理解がない現状があります。ここを飛ばすことは危険です。
コスパ重視で、答えだけが欲しい、自分が傷つくのはもっとも避けたい。
最短でコツを知りたい。
「編集する能力」をお互いに鍛えていく必然性をおそらく必要としていないのです。
平たく言えば、「なぜ一人ではダメなのか」。

 

 この編集者からの要望で、「相互編集」こそ、今とこれからの世界が必要としていることなのだ、と私も気づきました。そこで、なぜ必要なのかについて、本に組み入れる前に編集者に以下のように伝えました。みなさんと共有し、「もっとこういうことを書いて欲しい」「相互編集の必要性をこういうことで痛感した」という意見があれば、ぜひ寄せて下さい。
 まず、松岡校長の次の言葉を引用しました。

 

 ・私たちは、そして、それらは、すでに名前がついている。だから、新たな自由を加えてやるべきだ。それらは、それを待っている。
 ・私たち(それら)は、すでに記述された中にある。それならば私たち自身を複数の属性によって記述していくべきなのだ。
 ・私たち(それら)は、すでに組織化されている。
 ・私たち(それら)は、とっくに何かと関係づけられている
 ・私たち(それら)は、つねに相互関係ネットワークの中にいる。
 ・私たち(それら)は、もともと制限をうけている。

 

 このように私たちが「すでに投げ出された存在」であるからこそ、〈自己編集化〉を始められる。そこに〈相互編集化〉がおこる。「私が本書を通して言いたかったことは、この点に尽きている」と、『知の編集工学 増補版』にあります。
 

 編集工学は「自分」とか「私」というものがたくさんの他者や出来事とつながっている、と考えています。あらゆる生物が相互編集世界の中にいます。人間も同様です。その前提があるからこそ、個々人は環境や世界や他者と相互編集しなければ、「今の自分」から自由にはなりません。しかしそのためにはどうしたら良いか? 単に知識をためることでは、私たちは自由になりませんよね。知を編集能力によって、自在に使いこなすことが必要なのです。他者の体験、知見、考えとの相互交換こそ、自己編集のトリガーになるのです。
 その能力を拓く仕組みが、イシス編集学校の方法です。
 私は以上のように考えていますが、ご意見どんどんお寄せ下さい。

 

イシス編集学校

学長 田中優子

 

 

田中優子の学長通信

 No.04 相互編集の必要性(2025/04/01)

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 No.01 新年のご挨拶(2025/01/01)

 

アイキャッチデザイン:穂積晴明

写真:後藤由加里

  • 田中優子

    イシス編集学校学長
    法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。『江戸の想像力』(ちくま文庫)、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)、松岡正剛との共著『日本問答』『江戸問答』など著書多数。2024年秋『昭和問答』が刊行予定。松岡正剛と35年来の交流があり、自らイシス編集学校の[守][破][離][ISIS花伝所]を修了。 [AIDA]ボードメンバー。2024年からISIS co-missionに就任。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。