【86感門】校長の気配は本楼に(鈴木康代学匠メッセージ)

2025/03/15(土)18:20
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■本楼に向けて渦巻くエディットカフェ

 

「やっと皆さんに本楼でお会いできました」

イシス編集学校第86回感門之盟、守の卒門式で、鈴木康代学匠から言葉と同時に喜びがこぼれ出た。54守の汁講は本楼開催がなかったため、学衆たちが本楼を訪れるのは感門のこの日が初めてなのだ。

 

数日前から今朝にかけて、エディットカフェのラウンジは本楼に向けた発言で溢れかえっていたという。──上京します! 何を着ていこう? 飛行機に乗りました! その様子はさながら、日本中に散らばった学衆というピース(断片)が、本楼という、イシスすなわち故・松岡正剛校長のトポスに引きよせられ、集まって渦となり、つながってネットワーク化していく、編集のカタチそのものだったといっていい。

 

ハレの日の装いに着物を選んだ鈴木学匠。ふだんと違う姿にハッとした学衆も多かったのでは。学匠自身、学衆時代に松岡校長の着物姿にハッとして「イシスはやっぱり違う」と思ったのだとか

 

 

■学衆の勢いがすごかった!

 

学匠は、守の講座全体に目を配り、稽古が発展的なものになるよう運営する役割を担う。学匠歴が実に8年の鈴木学匠をして「とにかく学衆の勢いが凄かった!」と言わしめたのが、54守。そのエネルギーが、番ボーやミメロギア、特別講義といった稽古の節目を通して語られていく。

 

この振り返りはやがて、感門之盟の冒頭、「関係づけることが編集である」と断じた田中学長のスピーチに呼応した。「稽古を通じて私たちは、一見関係のない情報、教室、私たち自身というものの間に、編集のチカラでさまざまな関係線を引いてきました」。それをさらに社会に広げていく。社会にまだない関係線を発見していく。「そのために編集をずっと続けてほしい。それを伝えていくのが感門之盟、門を感じるということなのです」

学長と学匠が語ったその思い、それは、今ここに姿こそ「ない」が、面影として「ある」松岡校長の思いでもある。

 

■並ぶ本に校長の気配を感じて

 

「1年前の感門之盟ではここ(本楼)に校長がいて、病身をおして3日に及ぶリハサールに立ち会い、細部にわたるディレクションを尽くしていました」

鈴木学匠は千夜千冊1589夜の『書店の棚、本の気配』を引いて話す。「校長は、読書というものは思索と感情が混ざるもので表には見えにくい。しかし、書棚の並びで本の気配はわかると言っています」

結びでは、言葉と同時に熱が溢れた。「本楼は、校長の頭の中が外部化した空間です。この本楼という場所で校長の気配を感じ、編集稽古をやり抜いたお互いを讃えあいましょう」 

 

松岡校長の面影が宿る本楼空間。鈴木学匠はその壇上に、「158名の学衆と20人の師範代たちから受けたものを返したい」という思いで上がったという

 

(文:今井早智 写真:福井千裕、上杉公志)

 

 

  • 今井早智

    編集的先達:フェデリコ・フェリーニ。
    職もない、ユニークな経歴もない、熱く語れることもないとは本人の弁だが、その隙だらけの抜け作な感じは人をついつい懐かせる。現役時代はライターとして人物インタビューや住宅分野を手がけた。今も人の話を聞くの大好き。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。