この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

[守]の教室から聞こえてくる「声」がある。家庭の中には稽古から漏れ出してくる「音」がある。微かな声と音に耳を澄ませるのは、今秋開講したイシス編集学校の基本コース[守]に、10代の息子を送り込んだ「元師範代の母」だ。
わが子は何かを見つけるだろうか。それよりついて行けるだろうか。母と同じように楽しんでくれるだろうか。不安と期待を両手いっぱいに抱えながら、わが子とわが子の背中越しに見える稽古模様を綴る新連載、題して【元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた】。第2回のオノマトペは「ちくたく」、“母子時間騒動”をお届けします。
【ちくたく】
時計が時を刻む音。もとは振り子時計の振り子が揺れる音を表していたが、やがて時計全般の秒針が動く音を表すようになった。
『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(山口仲美/講談社)
「え、もう回答したの?」
「うん」
「え、30分経ってないよね?」
「笑」
「(ぅおぉぉぉっっいっ!)」
[守]の編集稽古は15週間だ。だから38番あるお題は、ほぼ1日おきに学衆の元へ届く。母が仕事から家に帰ると、長男はいつもパソコンの前に座っている。よしよしいいぞ、ではない。開いているのはエディットカフェではなく、たいていYouTubeだ。
「006番、出題されてるんじゃない?」
「えー、もうきてるのー? あー、ほんとだ」
長男は見ていたYouTubeを傍にやり、エディットカフェを開く。「家に帰ったらエディットカフェ」という約束は早々に破られ、かわりに「母が声をかける」という手順が段取りに追加された。
今日のお題【006番:カブキっぽいこと】は、「らしさ」を取り出す稽古だ。学衆は、いろいろな「カブキっぽい」ものを集めてこなければならない。「これは手強いぞ(母の心の声)」。しかし長男は、慣れた手つきで回答欄をコピーし、自分のパソコン上のテキストエディタへ貼り付け、回答を始めようとする。
「お題文は読んだの? カブキっぽいことだよ。歌舞伎は知ってる?」
「あー、これね」
いつものように画面を高速スクロールさせるので、本当に読んでいるのかどうか。いや、あのスピードでは読めていないだろう…と疑ってしまう母がいる。お題文はちゃんと読んでよと言いたいのを我慢して、問いかける。
「30分、計ろうか?」
「えー、計らなくていいよ」
そう言ってキーボードを叩き始めたので、母は部屋を後にすることにした。昨晩大量に仕込んでおいた冬瓜とソーキ(豚のスペアリブ)のお汁があったので、夕食の準備を20分くらいで終えた。「(心の声)お題回答目安時間では、あと10分くらいあるな。さぁて、どんな回答を叩いているのやら」。ふたたび部屋を覗きに行くと、母は自分の目を疑った。そこには、すでに回答を提出し終えて、笑いながらYouTubeを見ている長男の姿があったのだ。あんぐりとした母から出た言葉は、冒頭の会話となった。
母は、自分の学衆時代に【006番:カブキっぽいこと】へどう取り組んだか振り返ってみた。歌舞伎がわからず、まずは調べることから始まった。もちろんお題文に回答目安時間と設定されている30分はしっかり計った。ただ、それを余裕で超過していた。どのお題でも大体そうだった。回答目安時間なんてあってないようなものだ。到底、その時間内で終わらせることなどできず、沼にハマりながらも、流れる時と共に編集稽古を楽しんでいた。
そんな母の「ものさし」では測れない長男の稽古模様が、近ごろの我が家では風物詩となりつつある。母と息子ではこうも違うものだ。
長男は、そもそも日ごろからよく動く。食事中、コップを取りに行ったと思ったら、アイランドキッチンを2周回り、家族に「何しに行ったの?」と言われ、やっとコップを取って戻ってくる。食べ終えたのかと思ったら、席から離れ、リビングを回遊しだすこともある。とにかく彼の注意のカーソルは、次から次へトランジットしているのだ。かと思えば、じっと図鑑や雑誌を読み耽り、えっ、いたの!? とびっくりするくらい存在感を消して集中する時もある。本を読んだ後は母のところにやってきて、図鑑や雑誌で知り得た情報を、大量かつ一方的にドバーっとアウトプットし始めることも。彼には不定期に訪れる静と動がある。
そんな長男は、編集稽古をする時に「時間は計らないでいい」という。彼には、規則正しく進む時間では計れないものがあるのかもしれない。まるで対峙するものとの動きに合わせて伸びたり縮んだりする筋肉のように、柔軟な時が流れているのかもしれない。有り余る力を弄ぶような時間も、じっと目を見張り全身から吸収するような時間も、瞬時にジャンプしスパイクを決めるような時間もあるのかもしれない。チクタク、チクタク…。筋肉のように躍動する少年の時間がここにある。
ヂッグ、ダッグ……。母の筋肉はさびついているのか。朝の散歩をもう少し増やしてみよっかな。
(文)元・師範代の母
◇元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた◇
#02――ちくたく(現在の記事)
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。 さて皆 […]
コミュニケーションデザイン&コンサルティングを手がけるenkuu株式会社を2020年に立ち上げた北岡久乃さん。2024年秋、夫婦揃ってイシス編集学校の門を叩いた。北岡さんが編集稽古を経たあとに気づいたこととは? イシスの […]
目に見えない物の向こうに――仲田恭平のISIS wave #52
イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。 仲田恭平さんはある日、松岡正剛のYouTube動画を目にする。その偶然からイシス編集学校に入門した仲田さんは、稽古を楽しむにつれ、や […]
『知の編集工学』にいざなわれて――沖野和雄のISIS wave #51
毎日の仕事は、「見方」と「アプローチ」次第で、いかようにも変わる。そこに内在する方法に気づいたのが、沖野和雄さんだ。イシス編集学校での学びが、沖野さんを大きく変えたのだ。 イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変 […]
松岡正剛いわく《読書はコラボレーション》。読書は著者との対話でもあり、読み手同士で読みを重ねあってもいい。これを具現化する新しい書評スタイル――1冊の本を3分割し、3人それぞれで読み解く「3× REVIEWS」。 歴 […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。