この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

ハグが好きな人だった。
オンラインが基本のイシス編集学校で、初めて松岡校長と対面したのは2010年5月15日、紀尾井町の剛堂会館。6離「表沙汰」でのことだった。苛烈な稽古でぼろぼろになっている離学衆を、校長は一人ひとり抱擁で出迎えてくださった。その分け隔てなさを意外に感じた。イメージよりも松岡正剛は小柄だった。そして骨っぽかった。
26守破師範代を完走したときも、壇上で抱き合った。折角なので力一杯抱きしめてみたら、耳元で「うむ」とか「おう」とかおっしゃっていた。応えてくださったのか、うめかれていたのかは、今となっては分からない。
編集学校では校長だったが、松岡正剛が教育者として世間で紹介されることはない。だが生身の人間が変わっていくことに対する関心は並一通りではなかったし、だからこそ編集コーチたちに対しては厳しい叱咤があることも珍しくなかった。我々は常に校長の肉声を感じ続けていた。
各界の期待を背負う第一人者たちと共闘される一方で、校長はアマチュアの集団である編集学校の面々の挑戦にも強い関心をずっとお持ちだった。こんなに誰を相手にしても面白がれる人物は、そうそういないのではないか。松岡正剛は「誰をも抱擁できる人」でもあったのだ。
それは慈愛というような情緒的な語彙によってのみ説明されるべきではない。むしろその点こそに編集という営為が関与しているのだ。組み替えや調整が松岡正剛のいう「編集」のすべてではない。編集の第一歩は解体、すなわち「そこにある情報を分け隔てなく取り出し並べること」である。編集学校の稽古も、そうした手続きを冒頭のいくつかのお題で繰り返すところからスタートする。松岡正剛の前ではあらゆる人間がそうやって編集されていたからこそ、常に可能性が発見されていたのだろう。これは教育者こそが持たねばならぬ素地であり技術である。
例えばHyper-Editing Platform AIDAの場作りにあっても、講座にプロとアマを取り合わせるような場作りが常に志向されていた。創発的な学びは超一流の碩学を並べるだけでは到底起こらない。その意味では松岡正剛はアマチュアの力を必要としていたし、そここそに圧倒的な編集が駆使されていた。
「世界を抱擁する力」としての編集は継承された。差異を乗り越えた協働も、人間の多様な評価も、まだまだ世の中で十分に実現されているとは言えない。インターネット上に組まれたこの小さな砦から、継承者たちが打って出るときが来たのだ。
イシス編集学校
師範 川野 貴志
川野貴志
編集的先達:多和田葉子。語って名人。綴って達人。場に交わって別格の職人。軽妙かつ絶妙な編集術で、全講座、プロジェクトから引っ張りだこの「イシスの至宝」。野望は「国語で編集」から「編集で国語」への大転換。
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コメント
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。