この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

唯一無二のコーチングメソッドが学べるイシス編集学校の花伝所が、5月11日に入伝式を行った。指導陣と、学び手である28名の入伝生が、全国から世田谷区豪徳寺の本楼に集った。薫風かと思えば時折青嵐に変わるこの日、一体どんなことが起きたのか、その一端をPhotoスコアする。
学校は学級があるように、花伝所には道場が5つあり、ぞれぞれに担当の花伝師範がつく。パンク精神を持つ花伝師範・岩野範昭(左)は当日北海道から駆けつけた。「太刀が落ちるかもしれませんが、愛の刀だと思って受け止めてほしい」と言う岩野の白刃を受けた入伝生は、一人ずつ決意を表明する。
オンラインで入伝式に参加する入伝生にも真摯なまなざしを送る花伝師範・嶋本昌子。「変化する時は怖さや抵抗が生まれる。それはチャンス。編集されることを恐れずに、お互い変わり続けよう」と鼓舞する。編集学校は、教えることと学ぶことを分断しない。誰もが編集され続けるのだ。
発表しながら手が震えたり、校長・松岡正剛から質問が来たり、と思わぬ自体が起きる。しかしそれも編集契機にして、入伝生は場に応じ続ける。
道場ごとに集まり、花伝所で過ごす8週間の礎となる道場五箇条を決める。この日初めて会う者同士のワーク、制限時間はたったの35分。間髪入れずに進行者や発表者、タイムキーパーなどの役割を決めて交わし合う。どの道場も、[守]コースで稽古した要約や言い換えなどの型を用いつつ、ペンの入れ方や色、表現の仕方にも道場らしさを見せる。
組み立てた五箇条を2分間で発表する。ルールは「編集プロセスを含めること」。どの道場も、[破]コースで稽古した情報をメディアにする力を発動させる。発表を聞いた松岡から、意図は何か、どう発想したのか、といった問いが飛ぶ。発表者のリバース・エンジニアリングはますます深化する。
左から時計回りに、やわらかな口調で司会を務めた山本ユキ、自身の見方づけを生かした3人の寸評者。(小椋加奈子・新垣香子・中村裕美)真ん中は師範講義で進行と講義の要約を務めた長島順子。発表を聞き、寸評や要約をする錬成師範らも即座の編集力が試される。指導者も学び続ける、それが編集学校だ。
3人の師範が花伝所で使う型の講義をする。左から「イメージメント・マネージメント」の講義をする花伝師範・森本康裕、「リバース・エンジニアリング」の講義をする花伝師範・吉井優子、「エディティング・モデルの交換」の講義をする花伝師範・尾島可奈子。入伝式直前に行われたリハーサルで師範の講義に松岡からディレクションが入り、1日にも満たない時間で編集をかけた。
講義の題材となったもの。世阿弥の方法、コーヒーハウスの意味、松岡の著書『見立て日本』(角川ソフィア文庫)。いずれも花伝所の源流。
講義をスコアする手が動き続ける。この万年筆が松岡の目に留まった。
声を振り絞るようにして言葉を紡く松岡。「どうしたら花伝所が面白くなるのか」と考えながら好奇心を源泉に細部にも目を配る。入伝生の使う万年筆や声の様子にもハッとする松岡は「それを感じるためにここに来ている」と言う。すると「世界中の誰よりも、万年筆1本で僕はその人を救える」とつなげた。また、幼い頃の出来事にも触れながら「やらないことを増やす」「自分の中のものを消す」「膨大に入れて少なく出す」と、自分を削ぐことを強調する。
インタビュアーの林朝恵(左)と平野しのぶ(右)。今月行われた近江ARS TOKYOを観て感じたことを皮切りに、松岡の思いを聞き出す。平野は仕事で英語を使いながらも英語を捨てようと思い立ち、映像の仕事もしていた林は様式美への好奇心を抱き、松岡への問いにつなげる。
先達が言葉を贈る。林頭・吉村堅樹(左)は、「自らが編集学校を作っていく」というこの先を示しつつ、「自分に立ち返らずに、常に編集が駆動する方向を見ながら言語を変えていって」と入伝生の背中を押す。[守]コースの学匠・鈴木康代(右上)と[破]コースの学匠・原田淳子(右下)は、マルハラ問題や近江ARS TOKYOを花伝所の型と関連づけて語り、贈る言葉に変える。
入伝式の冒頭、所長・田中晶子(上)と花傳式部・深谷もと佳は、入伝生に道標を置いた。花伝所の型である〈問感応答返〉の「〈返〉に勇気を持って踏み出すこと」「〈応答〉し続け、その先の〈返〉に向かってほしい」のだと。入伝生は〈返〉へと歩く道中で、自らインタースコアを仕掛け、身を投じていくことが求められる。
入伝式の終盤、松岡は田中に言った。「託したよ」これは田中のみならず、座組全体へのメッセージでもあろう。一座建立の本楼から道場へと場を変えた入伝生は今、満身創痍で型を通し、青嵐を歩いている。
文・写真・アイキャッチ 宮坂由香
【第41期[ISIS花伝所]関連記事】
宮坂由香
編集的先達:橋本久仁彦。子どもに忍術を教え、毎日ジムに通い、夜勤あけに富士山に登る、というストイックなまでの体力限界ギリギリな経歴。現在も出版社で編集補佐、個人で画像編集・フォトグラファー、編集力チェックの師範代と八面六臂の活躍で周りに刺激を与え続ける元気印ガール。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。