この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

編集工学研究所の社長・安藤昭子のコラム連載「連編記」の第五回をお届けします。
(社長コラム「連編記」は、「編集工学研究所Newsletter」で配信しています。Newsletterには、編集工学研究所のウェブサイトよりご登録いただけます。)
「連編記」では毎回、一文字の漢字を設定します。この一文字から連想される風景を、編集工学研究所と時々刻々の話題を重ねて編んでいきます。
今回の漢字は、「遊」。松岡校長のお誕生日に合わせて、とっておきの一字がセレクトされました。
白川静さんの『字統』には、こんなふうにあります。
“遊とは遊行移動するものをいう。「漢に游女有り 求むべからず」とは、漢水の女神が出遊することをいう。その詩は漢水の女神祭祀を歌うものである。”
この一節を読んだとき、ふわっと浮かんだイメージはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」でした。
古代中国の文字が19世紀フランスの絵画を連れてくるのも、不思議な現象です。
“うかれ・遊びは、すべて人間的なものを超える状態をいう語であった。”
こちらも、『字統』の言葉です。
「人間的」を超越するものが遊びである。それでいて、遊びは人間文化の本質でもある。
ならば人間とは何なのか、ヒトの遊びとは何なのか。迷宮は深く、遊びに終わりはなさそうです。
「遊」から編集工学へと至る旅路を、松岡校長への愛と憧れを詰め込んで編み直した安藤社長。
その遊びっぷりも、ぜひご堪能ください。では、どうぞ。
(「連編記」配達人 山本春奈)
「連編記」 vol.5
「遊」
「遊び」と「編集」
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◆編集工学研究所からのお知らせ:
■イベント情報 『情報の歴史21』を読む 第十一弾「片山杜秀編」開催決定。
3月19日(火)19:30~22:00
音楽評論家、政治思想史研究者の片山杜秀さんをお招きして、「『情報の歴史21』を読む 第十一弾 片山杜秀編」を開催します。 テーマは、人類史と音楽史の交差点。
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■『情報の歴史21』ご購入のご案内
『情報の歴史21』は、書籍版/PDF版ともに、弊社ウェブショップにてお求めいただけます。
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■イシス編集学校 第53期[守]基本コース お申し込み受付中です。
編集を学ぶオンラインの学校、「イシス編集学校」の第53期[守]基本コースは2024年4月28日(日)開講です。
安藤昭子
編集工学研究所 代表取締役社長
東京生まれ東京育ち。新卒で出版社に就職。書籍編集に従事するも、インターネット黎明期の気配に惹かれて夜ごとシステム部に入り浸る。javaを勉強し、Eラーニング・プログラムを開発。会社から編集者かエンジニアか選ぶよう言われ「どっちも」と言って叱られる。程なくして松岡正剛を知り、自分の関心が「情報を編集すること」にあったと知る。イシス編集学校に入門、守破離のコースを経て2010年に編集工学研究所に入社。2021年に代表取締役社長に就任。企業・学校・地域など、「編集工学」を多岐にわたる領域に実装・提供している。Hyper-Editing Platform[AIDA]プロデューサー、丸善雄松堂取締役。著作に『才能をひらく編集工学』、『探究型読書』。新芽、才能、兆し、出会いなど、なんであれ「芽吹き」に目がない。どこにでも自転車で行く。
安藤昭子コラム「連編記」 vol.11「膜」:心の風の通り道
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。