大破顔まであと3日 ◎シン・お笑い大惨寺

2023/12/22(金)12:00
img DUSTedit

▲今の世は「笑い」が足りない。

 

▲おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ……(『徒然草』十九段)。愚痴も言わず、文句も言わず、しかめっ面で溜め込んでいれば、吉田兼好じゃないが、「腹ふくるる」だけである。笑って息を吐き出さないと、そりゃもたない。

 

▲そういえば、天の岩戸に隠れた天照大神が、うっかり顔を出したのは、外で神様たちが笑っていたからだっけ。木村洋二は、神聖な神や象徴を笑うことは、そこに封入されたエネルギーを簒奪・解放することだといい、「爆弾テロより強力な破壊力をもつ」(『笑いを科学する』)と断じたが、そうか岩戸は笑いで吹っ飛ばされたのか。

 

▲『万葉集』で大伴家持が詠んだ歌。「痩(や)す痩(や)すも 生(い)けらばあらむを はたやはた 鰻(むなぎ)を捕(と)ると 川に流るな」。痩せすぎた男で鰻を捕る姿を見て「川に流されるなよ」と家持。思い切り笑うてるやん。ま、「生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は 楽しくをあらな」、なんて歌を詠んでいるだけのことはあるか。

 

▲源平の合戦は最終盤、壇ノ浦に追い詰められた平氏一門。知盛(清盛四男)は船の上から「めづらしきあづま男をこそご覧ぜられ候はんずらめ」(珍しい東国の男を目にする時がきました)と、大ピンチにカラカラと笑った。『ONE PIECE』のルフィも死刑台で「わりい おれ死んだ」と笑ったっけ。

 

▲狂言は、痛烈に、現実を直視し、笑いを見つけ、観客といっしょに、社会もろとも笑おうとするものであり、「狂言が笑いの対象とするのは、その時代の目立つもの、威張っている人種たちです」と藤原成一(『日本文化を読み返す かさねの作法』)。さしずめ今なら、論破王やナントカ眼鏡を笑い飛ばすに違いない。

 

▲「日本人はどちらかというと、よく笑う民族である」と書いたのは柳田国男だったか。そんな日本人、今やいませんよ、柳田さん。

 

▲[守]の稽古「032番:21世紀枕草子」で「パロディア」(諧謔)に遊んでみたのは言わずもがな。

 

▲相好が崩れ、破顔する義で、ワルル(破)から「わらう」が生まれたという語源説がある(『日本国語大辞典』)。破る=笑う、なのだ。さあ、では何を破ろう。

 

▲今の世には、「笑い」が足りない。イシスには「シン・お笑い大惨寺」があるじゃないか。令和五年のクリスマスの朝は、大破顔の朝となる。

  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

  • スコアの1989年――43[花]式目談義

    世の中はスコアに溢れている。  小学校に入れば「通知表」という名のスコアを渡される。スポーツも遊びもスコアがつきものだ。勤務評定もスコアなら、楽譜もスコア。健康診断記録や会議の発言録もスコアといえる。私たちのスマホやP […]

  • フィードバックの螺旋運動――43[花]の問い

    スイッチは押せばいい。誰もがわかっている真理だが、得てして内なるスイッチを探し出すのは難しい。結局、見当違いのところを押し続け、いたずらに時が流れる。  4月20日の43期[花伝所]ガイダンスは、いわば、入伝生たちへの […]

  • 【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】勝手に映画だ! 清順だ!

    この春は、だんぜん映画です!  当クラブ「勝手にアカデミア」はイシス編集学校のアーキタイプである「鎌倉アカデミア」を【多読アレゴリア24冬】で学んで来ましたが、3月3日から始まるシーズン【25春】では、勝手に「映画」に […]

  • 【多読アレゴリア:勝手にアカデミア③】2030年の鎌倉ガイドブックを創るのだ!

    [守]では38のお題を回答した。[破]では創文した。[物語講座]では物語を紡いだ。では、[多読アレゴリア]ではいったい何をするのか。  他のクラブのことはいざ知らず、【勝手にアカデミア】では、はとさぶ連衆(読衆の通称) […]

  • 【多読アレゴリア:勝手にアカデミア②】文化を遊ぶ、トポスに遊ぶ

    「鎌倉アカデミア」は、イシス編集学校のアーキタイプである。  大塚宏(ロール名:せん師)、原田祥子(同:お勝手)、角山祥道(同:み勝手)の3人は、12月2日に開講する【勝手にアカデミア】の準備を夜な夜な進めながら、その […]

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。