この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

映画「春の画 SHUNGA」の予告編に、田中優子先生がメッセージを寄せている。
「江戸時代、いや日本のイメージが大きく変わる映画だ。全ての人に見ていただきたい。」
10月の「Hyper Editing Platform AIDAシーズン4第1講でも、優子先生からおすすめの言葉があった。この日、生成AIの話題が多く交わされたのを受けて、松岡校長はかつても生成AIのような強力な技術が登場したことはあったと言い、そのことを考えるよう示唆した。優子先生は、技術が表現を凌駕してしまったケースとして、江戸時代の破格な春画をあげた。1ミリの幅に3本の毛を刻む彫師の技術が、絵師の表現を超えた春画を生み出してしまったという。AIDAでは、近代社会の価値や枠組みの行き詰まりもたびたび議論になる。春画には、日本が近代化によって覆い隠したことがあらわれているのではないか。優子先生の推しに誘われて映画館へ向かった。
◆春画のいろは
もちろん本物を見たことはない。ただ、有名な浮世絵師も春画を多く手掛けており、芸術的価値が高いこと、近年ロンドンや東京で大規模な春画展があり、評価が高まっていることは聞いていた。
このドキュメンタリー映画は、江戸時代に隆盛を極めたが、明治時代に禁じられ、現代の日本人は知り得なかった春画というメディアを教えてくれる。それが、いかに流通し、人々にどのように愉しまれていたのか。大名家から庶民まで、多様なニーズに合わせていかに企画され、絵師・彫師・摺師がどれだけ工夫をこらして製作していたかを探究している。
春画は枕絵、笑い絵、わじるし、などと呼ばれ、冊子になったものは笑本、艶本、好色本、枕草紙という。なぜ「笑い」なのか。春画とは江戸時代のエロ本ではないのか?
優子先生の著書『春画のからくり』を読むとわかる。春画は、性を露骨に表現しているが、そこには必ず男女(とは限らないが)二人(以上のこともあるが)が描かれていて、その関係やシチュエーションが見えてくる。詞書や書き入れがあり、セリフになっていることも多い。着物(なぜか着たままのことが多い)や家具調度や周囲の景色まで描き込まれ、見て読んで、物語を読み取って楽しむもののようなのだ。
◆名品とはこのことか
映画館のスクリーンで見る、春信、歌麿、北斎、国貞らの名品は、たしかに美麗でそれぞれの個性もくっきりしている。好みのものを選べる幅があるということがすごい。
男女のからみがあって、それを見せるのが春画なわけで、ポーズはかなり無理がある。性器はデフォルメされていてグロテスクなのだけれど、人物の表情がよいし、髪や指先の表現、着物のボリュームと柄、その重なりなど見飽きないほど美しい。髪の毛、そして陰毛をなんと細かく描いて、いや彫っていることか。1ミリに3本という話は本当だった。
江戸時代、好色本は幕府によって禁止され、店頭で売ることはできなかった。贅沢禁止もやかましく、店頭で売る錦絵(多色刷り浮世絵版画)は、絵柄や色数が制限され、検閲を受けて販売されていたという。が、地下出版の春画は検閲もないものだからいくらでも贅沢につくれた。30色を使い(ということは版を30近く重ねるということ)、金箔、銀箔をつかうなど、材料も手間もかけ放題。職人は持てる技量を注ぎ込んだ。手に取ってみないとわからないような技術も映画ではアップで見られる。オモテの世界よりも、ウラの世界のほうが手間もカネもかかった高品質なものを創り出していたのである。
◆春画とポルノを分かつもの
映画には、コレクター、研究者、愛好家、現代美術家、海外のコレクターらが登場する。「春画ナイト」なる会で、本物の春画を鑑賞し、語り合う人たち。江戸時代の町人もこのような秘密の集まりで笑い絵を囲んだのだろうか。
春画は平安時代からあったという。交合はめでたいものであり、子孫繁栄のための大事なことであり、それを描いたものは死を遠ざけるお守りにもなったそうだ。嫁入り道具であり、武将が鎧の下に身につけ、火事に遭わないよう蔵に置かれた。ポルノグラフィのように性を消費するものではなく、性愛を大切にしているということが感じられる。
このことは映画のパンフレットに優子先生が書いている。
「近代のポルノグラフィとの違いは、春画が「対」で表現される点だ。対とは、私の見るあなたでも、あなたの見る私でもなく、「私とあなた」が交わる世界だ。
映画『春の画 SHUNGA』の凄さは、互いを大切に思う世界を、浮世絵師たちが大切に思い、さらに彫師、摺師が大切に思って力を尽くした、その全てが見えてくることである。技術とその対象が一体化していたことが、この映画でわかる。
春画に描かれた男女の表情を好ましく思う。にっこりしたり恍惚としたり、目が一本の線になっていることも多い。一方で相手を凝視するもの、やや冷めた視線もある。細く小さい目が相手との関係を描き出す。鑑賞者を物語のほうに惹きこむのだ。
◆「スサビ」「やつし」を知る
抱き合う姿態はアクロバティックというか、無理がありすぎだし、タコや幽霊もでてくるし、おかしなものもあれば、ホラーっぽいものも、血みどろスプラッターもある。鈴木春信が描く『風流艶色真似ゑもん』は、漫画チックなファンタジーだ。性の奥義を学びたい「真似ゑもん」が、秘薬を得て豆のように小さな姿になり、諸国を旅してあらゆる性愛を覗き見る。男女ばかりでなく、男同士の方法も修業する。(映画を見た後、『性の境界』を読んでいたら、まさにこの「真似ゑもん」が登場していてビックリした)
映画のなかで復刻制作の様子が紹介される鳥居清長の「袖の巻」は、品格が高いと優子先生のお墨付きである。校長も「たいそう洒落ていて唸ってしまう」という(千夜千冊1138夜林美一『江戸の枕絵師』)、めずらしいサイズの紙に刷られたセットだ。抱き合う男女の姿が横長のフレームに切り取られ、それが12枚のセットになっている。モダンな印象だ。
笑えるもの、洒落たもの、金に糸目をつけない豪華なもの、ギョッとするようなヘンなもの、こんなにバリエーションがあるのか…。121分の映画、堪能しました。
性は大切なことではあるが、やはり秘め事であろう。公にすることではないし、春画はあくまでもオモテに出るメディアではなかった。けれどもそれに、一流の絵師と職人が技量を注いだ。それを誰かと誰かが共に見て笑った。さまざまな制限をかいくぐり、ウラの秘められたメディアでリミッターをはずし、技を尽くし、奇想を飛び立たせたのであった。そこ? というところに頂点をつくる日本人を発見した思いだ。
土曜で監督のトークもある回だったのに、すいていた。R18だからだろうか。もっと多くの人に見てもらいたい。まったく知らなかった、隠されていて知りようもなかった日本の姿がある。職人のスサビ、絵師のやつしを目の当たりにする機会だ。
原田淳子
編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。