この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

インボイス制度が始まった。国税庁のサイトによると次のような記載がある。
適格請求書(インボイス)を発行できるのは、「適格請求書発行事業者」に限られ、この「適格請求書発行事業者」になるためには、登録申請書を提出し、登録を受ける必要があります。
(出典:国税庁のインボイス公表サイト「特集インボイス制度」より)
この制度では「適格請求者」と「そうでない者」と二分している。白黒をはっきりとさせ、例外を一切排除している。制度の上であればこのようなシンプルな分類も可能だろう。
一方で、実際の社会や生活の中で、簡単に分類ができるシーンはそうそうない。むしろ複雑さに満ちていて簡単に割り切れないことばかりである。イシス編集学校は、そうしたカオス状態の中で情報を編集する方法を学ぶ。
同日、2023年10月1日の51[破]の伝習座で、八田英子律師が最初に師範代に問いかけたのは、容易にはとらえがたい「らしさ」の編集であった。
「松岡校長は、今月刊行の『知の編集工学』(朝日文庫)増補版で、ヴィーコについて大幅な加筆をしています。そこで強調しているのは、1ヴィーコが『新しい学』の中で、プラトン以降の“真偽”の議論ではなく、真らしさ、偽らしさという2つの“らしさ”を学問しなければならない、と言及していた部分です。」
「らしさ」に向かう方法の一つが、ハイパーな編集に向かうことである。常識や正解にとらわれず、従来の価値基準から抜け出したハイパーに注目を向ける。ある種、デモーニッシュな部分にこそ注目することである。
歴史を振り返ると、一芸に優れたハイパーな存在は、時としてモンスターとして恐れられてしまう。魔女裁判のように断罪の対象になることさえあった。
前回の感門之盟で、松岡校長は「今の日本はヤバイ。モンスターを扱う才能が失われている」と危惧を述べた。確かにハイパーなもの扱いにくい。リスクもある。それでもなお、注意のカーソルが向かうハイパーに編集学校で学ぶ方法を徹底して当てはめていくこと。これこそ「デモンストレーション」なのである。
「スーパーからハイパーへ。松岡校長が表象したハイパーな“出世魚教室名”に恥じない期にしていっていただきたい」と律師は締め括った。
「今日の服装のコンセプトは?」と尋ねると「服装まで気がまわせてないよ」とフランクに回答(白状?)する八田律師。そう言いながらも、白黒の上下にはこっそり深緑の差し色を潜ませており、衣装でも色彩で内なるデーモンを纏っていた。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。