「1617」に何が起きたのか 予想外の展開

2019/12/06(金)16:17
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 1617。イチロクイチナナと読む。2007年3月に開講予定だった16[]は、直前になって2期に分けて開講することが決まった。3月5日開講の16[]の10教室と、1か月半遅れて4月23日に開講した17[]の8教室。2つ合わせて「1617」と呼ぶ。

 

 4月開講にしたいというかねてからの編集学校の思いと、4月以降に入る学衆数に目途が立ったため決行された。「予想外の展開。正直、最初はちょっとキツかったです」と当時学匠の冨澤陽一郎(現道匠)は、17期[守]のあと、ラウンジで振り返った。

 

伝習座の様子。中央は学匠の冨澤陽一郎

 

 

 2回の伝習座を3回に増やし、各師範代に個別に電話訪問したというエピソードを聞いただけでも、運営の苦労が伝わってくる。師範の一人は「講評ばかり書いていた気がする」とこぼした。1期に2度の番選ボードレールがあり、8人いた師範は延々4度もの講評を書かなければならなかった。

 

 1617を経験した師範代は、花伝師範の廣瀬良二、42[破]番匠の関富夫、着物編集の森山智子、[守]・[破]番匠を担当した大武美和子、こども編集学校の松井路代、そして景山和浩ら現役でイシス編集学校のロールをになっているメンバーが多いのも特徴だ。イシス史に残る経験をした1617の編集は、まだ続いている。

 

1617で師範代を務めた左上から大武美和子、関富夫、松井路代、廣瀬良二、森山智子、景山和浩

  • 景山和浩

    編集的先達:井上ひさし。日刊スポーツ記者。用意と卒意、機をみた絶妙の助言、安定した活動は師範の師範として手本になっている。その柔和な性格から決して怒らない師範とも言われる。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。