<速報>図象解説レポート【輪読座「幸田露伴を読む」第五輪】

2023/08/27(日)16:51
img JUSTedit

 2023年夏の甲子園、8月23日の決勝戦で慶応義塾高校が優勝した。107年ぶりの快挙である。1916年(大正5年)の優勝時、明治から昭和初期の文人・幸田露伴(1867~1947)は数え50歳の現役作家。3年後の1919年には史伝『運命』を上梓している。豪徳寺の編集工学研究所で、輪読座「幸田露伴を読む」第五輪が8月24日に開催された。図象を駆使しながら講師役を務める輪読師・高橋秀元の来楼が遅れたため、一時間遅れの14時からスタート。いつもの宿題確認はパスし、座衆の学ぶカマエを試すように、いきなり解説が始まった。今回、イントロダクションで紹介された『快楽論』と、露伴の弟で日本の歴史学者である幸田成友(1973~1954)をレポートする。

 

 露伴は人間進化と精神向上の原理を追求し続け『努力論』を執筆したことが有名であるが、一対のセットとなる『快楽論』を1915年(大正4年)にかけて雑誌に連載していた。侮るなかれ、単なる動物的で肉体的に溺れる快楽にフォーカスしたモノではない。人間向上の原理としての快楽である。露伴は動物が快楽と思わないモノに対しても人間が快楽と捉えている大きな溝に注意を向け、そこに人間の本質があると発見したのだ。物差しの基準を変え、未知へ遊出していく快楽、対象への見方の相転移が起こって恋に落ちるような快楽である。

 

 

 

 次に高橋は幸田成友の重要性について語り始めた。20世紀に評価されておらず、21世紀になってスポットライトを浴び初めている歴史学者だ。明治政府は近代国家であるヨーロッパの仲間入りをするために、彼らと共通の基盤となるランケが用意した世界史のフォーマットを使って自国の歴史本を用意する必要があった。その制作に成友が関わっていたのだ。

 いつの時代も国家の存在条件として、自らの歴史を文字として表現し、書物などのメディアを通じて見せる必要がある。アーキタイプを辿れば、大化の改新の後に漢文で書かれた『日本書紀』が制作され、唐や新羅に送られたことで、日本は中国や朝鮮とは別の国として主張することができた。しかし『日本書紀』では近代国家として主張する分には足りない。政府の命を受けた成友は世界史共通フォーマットから外れ、独自の日本フォーマットを構築しようとした。露伴も弟の歴史制作の方法に刺激を受けて物語を執筆していたのだ。兄弟の共振関係が、幸田露伴の物語に大きな影響を与えていた。

 

 イントロダクションの後、本格的な図象解説が行われ、座衆達は高橋から届く声に耳を傾けた。次回の第六輪は9月24日(日)。輪読座ではアーカイブによる視聴がいつでも可能だ。門戸は常時、誰にでも開かれている。幸田露伴の先見性に関心を持たれた方はコチラをクリックいただきたい。

  • 畑本ヒロノブ

    編集的先達:エドワード・ワディ・サイード。あらゆるイシスのイベントやブックフェアに出張先からも現れる次世代編集ロボ畑本。モンスターになりたい、博覧強記になりたいと公言して、自らの編集機械のメンテナンスに日々余念がない。電機業界から建設業界へ転身した土木系エンジニア。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。