この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「床の間」と聞いて、皆さんはどんなことを思い出すだろう?
夏休みに行った祖父母の家にあった床の間だろうか。あるいは温泉宿での掛け軸や活けられていた花とともに記憶しているものかもしれない。でも、いま自宅に床の間があるという人はどれほどいるだろう。日本らしさの象徴といえる床の間が日本から消えつつある。富山で行われた初めての「日本シルースル」エディットツアーは、そんな床の間の正体を探り、考える機会となった。
前夜の大雨の気配など微塵も感じさせない陽光に包まれた4月9日。葉桜の新緑が眩しい季節に、「日本シルースル」床の間編が富山県富山市の数寄書斎で開催された。会場の窓からは、遠くに神々しい立山連峰が見える。耳には三年振りに開催された「全日本チンドンコンクール」の、賑やかな音が響いていた。69 年続いてきたチンドンも年々参加者は減り続けている。これも失われつつある日本文化のひとつだろう。
どうすれば「日本する」を日常に取り込むことができるのか? 「日本する」に「編集」をどう活かすことが出来るのか? 第一回は「床の間」を題材に、室礼と編集を重ねることになった。
講師の藤田小百合は 2016 年春から 2018 年秋まで、[守]・[破]・[守]・[破]とイシス初の四期連続登板をした師範代である。藤田が四期も続けて師範代を担ったのは、中途で放り出すことなく、日々重ねることでしか生まれてこないものがあると、確信を持っていたからだ。藤田は自らが運営する富山のサロンで、室礼を通して活動をしてきた。画一的ではない、その人、場、時の差し掛かりで別様の「もてなし」や「ふるまい」ができる「日本力」を掬い上げ、日常に取り戻そうと考えてきた。藤田の編集は、「あ・うんの呼吸」、「あわせやかさね」、「そろいやきそい」という方法日本を面白がるところから始まる。そして一人ひとりから生まれる「趣(おもむき)」に深みや拡がりが増すように編集の型を重ねる。さらに自然や人との共時性を生み出すために自らが考案した「ハレ暦」を使う。当日行われた「日本シルースル」のワークと次第の一部を紹介しよう。
■床の間として思い浮かぶものから
「床の間」で私たちはなにを思い出せるだろうか。最初のワークは「面影としての床の間」からイメージを広げる。人は自分の思い出を取り出す時、記憶の中で取捨選択をしている。ワークでは制限時間を設けることで、想起も加速した。つづいて取り出した記憶情報を各自で三つに分け、タグ付けをする。最後に三つの分類から一つずつ、一番気に入っているものをピックアップして発表する。
ワークでは、以下のような回答が取り出された。
◎一輪挿し、見送る思い、言葉(もどき/暗示/属性)
―富山在住 A さん
◎掛け軸、剣山、辛気くささ(正面/俯瞰/奥)
―金沢在住 I さん
◎木、大切な場所、たてに長い絵(形・財/感じる/置く)
―神奈川在住 U さん
◎口紅、菅原道真、不思議(子供/お正月/日常)
―富山在住 S さん
◎花、空気、刀(宿/おばあちゃんの家/自分の家)
―富山在住 S さん(母)
◎掛け軸、置物、文机(神様/心/学ぶ)
―富山在住 S さん(娘)
◎お酒、上座、お祭り(色/質/お祭り)
―富山在住 D さん
◎ふすま、掘りこたつ、上座下座(そこにあるもの/冬/匂い・気持ち)
―東京在住 T さん
◎めでたい、日の出、米俵・祖先(心・喜怒哀楽/赤・エネルギー/巡・年中行事)
―富山在住 M さん
◎桂離宮の床柱、唐招提寺の東山画伯の絵、筆記用具(建材/飾り/脇床)
―富山在住 Y さん
同じ床の間という言葉でも、イメージするものは千差万別である。それぞれの床の間の思い出に、その人らしさが感じられるのではないだろうか。
■『忘れられた日本』ブルーノ・タウト(千夜千冊 1208 夜)と趣編集
面影を想起するだけではなく、そこに確かな輪郭を与えたい。ワークに続いて、行われたのは、松岡正剛校長の千夜千冊 1208 夜ブルーノ・タウト『忘れられた日本』の共読セッションになる。タウトは日本の床の間を絶賛した。床の間が徹底して簡素であるのに、古びてもなお綺麗で、世界が集約されて表出されているようであると。床の間は紙一重で違う世界と繋がっている上に、象徴性をなんら失わないというのだ。
床の間を考えることは、「日本を知る」ことであり、「日本する」につながる。「日本力」を取り戻す最初の一歩になる。タウトの言葉によって、参加者は今回のテーマが「床の間」であったことに得心がいったのではないだろうか。
最後のワークは、それぞれの面影日本を床の間に室礼する。ワークではそこに<見立て>という編集術を持ち込んだ。ルールは三つ。
・赤い折敷を床の間に見立て、その上にこの部屋に3つのものをしつらえる。3つのうちの1つは必ず本にする。
・残りの 2 つは会場内にあるものならなんでも自由に選んでいい。
・出来上がった床の間にネーミングをする。制限時間は 10 分
それぞれの床の間を見てみよう。
・「新・自由」:自由に生きる子を大切にしたい。
・「新しい道」:これからの自分探し。
・「一期一会」:沢山の情報を受け取って生きている中で、「いま」を大切に感謝していきたい。
・「行きつ戻りつ言を運ぶ」:時空、時間を超えて行ったり来たりるする心を見る。
・「明るい方へ」:いつの辞退も時間が巡っても、おさなご、子供が子供らしく生きられる明るい見通しが持てる時代となりますように、との願いを込めて。
・「開運 祓いとおもてなし」:流し雛で厄災を流し、平和を祈るところから、招いた客人全員を厄払いして、おもてなしをする床の間を聖域に出来たらという思いを込めた。
・「女性のいきやすい春」:みんな違ってみんないい!
各々がそれぞれの床の間を、仕立てあげた。
「見立て」という編集術ひとつで、それぞれが手作りで、床の間をこれからの日常に取り戻すことができるということを、参加者は感じられたのではないだろうか。
床の間はいつでもどこでも作れる。小さな赤の折敷を床の間に見立てることで物語が生まれ始めた。さらに何か1つの意外な要素を加えるとイメージが立体化する。自分なりのネーミングを与えることが、床の間の世界定めになる。
その人が持つ「日本らしさ」のイメージを形にすることで、さらに新しいイメージが生まれている。その日常での継続、積み重ねが、藤田が伝えたい「日本力」の根底にはある。
■「日本する」をふり返り、日常へ
ワーク終了後は、自由に感想や質問を記述する Q シートで、参加者たちが今日のツアーを振り返った。
・「床」を一字見ても、ユカと呼ぶかトコと呼ぶかで、見方がガラリと変わる。「床の間」の室礼で使った「見立て」の方法は、歴史を遡ったり掘り下げていかないと、「らしさ」や「っぽさ」は出ないことを実感した。(S さん)
・インスピレーションで話すということも、情報を集めるということになっていると気づかされた。対話をすることで、整理されていった実感がある。一人で情報を集める以上に、情報が広がることに気づく時間でした。(Y さん)
・自分の発想力、想像力が弱いことを実感。「見立て」の方法を磨いて説得力あるコミュニケーションが出来るようになりたい。(T さん)
・よいワークショップでした。メディア・メソッド・メッセージの 3M が効いて います。(I さん)
・室礼の自由さや遊び心。そこに何を、どんな思いを込め、願うか。形にすることの大切さを実感した。
「日本する」をしてみると、なんらかの「趣(おもむき)」が生まれてくる。日本、日本人が再生するには、まず「日本する」方法と実践が必要なのだ。
いつからだってどこからだって、「編集する。日本する」は始められる。始めるのは自分自身の日常からでよい。師範・藤田小百合がワークを通して伝えた「日本する」の第一歩。床の間からまずは編集を始めてみる。ご関心がある方は次回をどうぞお楽しみに。
文:富岡多美
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。