この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

マネジメントに悩まないマネージャーなんていない。巷にあふれる本や雑誌がその証左だ。ここ最近は「心理的安全性」という言葉をよく目にする。聞き慣れない言葉が一気に蔓延した。心理的安全性が高まれば、「自分らしく」率直に意見を交わすことができ、生産性の高いチームになるという。そのために、共感・傾聴・承認とたくさんのコーチングスキルを身につけようと励んでいる人も多いのではないか。
イシス編集学校でもマネジメントを学べる場所がある。編集コーチ(師範代)を養成する花伝所だ。[守][破]と呼ばれる基本・応用コースで編集術を学び終えた人々が進む場である。学んだ編集術を、日常・仕事・社会でより実践的に活用できるよう、学ぶから教えるに、わたしからわたしたちに、行うから仕掛けるに、転化・変容・昇華させる。その花伝所が今期、5つの演習テーマの4つ目にあたる「マネジメント」を更新した。この演習では[守][破]コースの教室運営の方法を学ぶ。前期までは指導陣が用意した教室事例を手渡していたが、今期は編集コーチ(師範代)を目指す入伝生自身が出身教室を観察して事例を探すところから演習化した。この探索がマネジメントの学びを躍進させた。入伝生は師範代に「代わって」事例を集め読み解き、新たな物語を編み直した。出題時刻を分単位で並べたり、入伝生同士の教室経験を重ねて相似や相違を発見したり、学んだ経験を教えるモデルへ抽象化したり。たくさんの遭遇が目まぐるしい想像を起こした。手渡された事例では決して起き得ない。教えられた師範代になってみることができないからだ。かつての師範代が企んだことがわかり、ヴェールに覆われていたことが破られ、底に潜めていたことが謎として浮上する。学ぶわたしと教える師範代が、学ぶわたしと学ぶ師範代に変わり、「教えるわたしと学ぶ師範代」へと転移し、連なる。わたしとあなた・学ぶと教えるが不即不離となり、ダブル・ヴィジョンをつかんでゆく。
この学びの過程こそが、花伝所が教えるマネジメントの要訣だ。世の中のマネジメントが「心理的安全性」に注目する今、私は花伝所が提示するマネジメントを「複眼的偶然性」と言ってみたい。率直に意見が言いやすいと感じる「心理的安全性」が高い状況は、安易な答えに走る可能性がある。「自分らしく」を土台にすることで、相手も「自分らしく」で応じ、連環のない一方向の伝達コミュニケーションに陥る。「複眼的偶然性」は、入伝生がかつての師範代になるように、「何かの代わりになる」ことからはじまる。「自分らしく」は邪魔者だ。今のわたしを抱えたまま複眼的に「何かの代わり」になることで、今のわたしでは無知であったことが既知になる。既知が新たな遭遇へ向かい、偶然が未知を拓く。複眼的に無知・既知・未知を往来し、偶然から必然を生み出してゆく。「わたしらしくある」と自らの存在で足場をかためる「心理的安全性」は、その場に内在する「インスピレーション」に気づけない。ダブル・ヴィジョンで「わたしと代わり」を行き来し、現在と過去、刹那と記憶、実と虚を往来する。ウツとウツツを行きつ戻りつウツロヒゆくことで、偶然が創発を起こす。「複眼的偶然性」こそが、関係を動かし、場をイキイキさせる。
今期更新されたマネジメント演習で、入伝生は師範代から贈られていた数々の「問」に気づき「感応」した。すでに「答」になったものも、未だ「答」にならざるものも両方を抱きかかえ、いよいよ最後の演習「メイキング」へ渡る。これまでの全ての演習を総動員し、「複眼的偶然性」で既知から未知へ向かうには、ためらいはご法度だ。機を見逃さず、冒険へ乗り出して、あらゆる偶然を必然化し、師範代へと花開いてゆく。
文 古谷奈々
アイキャッチ 林朝恵
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イシス編集学校 [花伝]チーム
編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。