おしゃべり病理医 編集ノート - ゲーマーから名医へ!

2020/02/21(金)10:22
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 ゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたすゲーム依存症が「ゲーム障害(Gaming disorder)」として国際的に「病気」として認められた。世界保健機関(WHO)が、改訂版国際疾病分類「ICD-11」の最終案に明記し、昨年5月のWHO総会で正式決定された。国際疾病分類は、1990年以来、約30年ぶりの改訂となる。日本では、現在従来のICD-10が依然として用いられているが、2022年1月の正式発効に向けて準備が進められている。

 スマートフォンの普及が大きい要因のようである。スマホに搭載されたアプリは、いつでもどこでもゲームに没頭することを可能にした。移動中でも食事中でも片手が空きさえすれば画面を親指で連打する「ながらゲーマー」。気がつくと起きている時間のほとんどをスマホゲームに費やしている。そのうちにゲームの過剰な反復刺激によって自律神経に異常を生じ、睡眠サイクルが狂い、眠れなくなる。夜中に起きているとますますゲームの世界へ入り浸り、日常生活が破綻する。

 ゲームで心身の健康を損なうことが懸念される一方で、皮肉なことにゲームテクニックが、最近、外科医に求められるようになった。ロボット手術が行われることが増えているからである。前立腺癌をはじめとした特に泌尿器科領域の外科手術でロボット手術が主流になりつつある。視野が狭く、外科医の手さえ邪魔になるような小さな部位の操作も、ロボット手術なら視野をしっかり確保しながら安全に手術ができ、出血量も少なくてすむ。ロボット手術は、モニターを見ながらロボットを遠隔操作するのだが、ロボット手術がやたらとうまい外科医は、ゲーマーのことが少なくない。モニター操作はゲームと似ていて、日々ゲームに明け暮れた生活習慣がそのままロボット手術のトレーニングになっていたのだ。

 このように、ゲームは人を病気にもするし、病気を直すスキルの鍛錬にもなる。スマホの発明と普及は、今世紀最大のイノベーションだと言われているが、それに匹敵するあるいはそれ以上の歴史的な発明品といえば、やはり、活版印刷であろう。中世のグーテンベルクによる「活版印刷革命」は、当時の人々の識字能力を底上げし、科学や宗教の理論が印刷技術によって飛躍的に広まっていった。
 
 スマートフォンが、ゲーム障害の大きな要因となったように、活版印刷革命は、「老眼」と「遠視」という病態も生み出した。今まで読み書きをしてこなかった人々にとって、小さな形が見えづらいと認識する機会などそれまでなかったのである。それが、文字を読むことが生活の一部になったことで、大勢の人が自身の遠視や老眼に気づくことになったのだ。

 

 近くが見えづらいという認識が広まることによって拡大したのが、「眼鏡市場」。レンズを作る技術が急速に向上し、グーテンベルクが活版印刷を発明して100年後、ついにヤンセン親子が顕微鏡を発明する。二つのレンズをメガネのように横に並べるのではなく、縦に並べて重ねて使うと、物体が拡大して見えることに気づいたのである。病理医の仕事も、遠く遡ると、グーテンベルクさんの活版印刷革命の恩恵を受けているのかぁ。

 このように、活版印刷革命による識字能力の向上という表立った影響の裏側で、老眼と遠視という病態が副次的に誕生し、眼鏡の必要性を生みだし、眼科医と眼鏡職人を育成し、それが新たな道具の発明を促し、病理学の進歩にも貢献する、といった循環が生まれているのである。メディアをはじめとした社会の変化は、病態も技能も道具も発明するのだ。

 WHOに正式に疾病として名を連ねることになった「ゲーム障害」。ゲーマーの外科医がゲームのやりすぎで出勤できなくなればゲーム障害だが、同じくらいゲームをやっていてもロボット手術で力を発揮できれば病気ではない。場所を自宅の部屋から手術室に移して、ロボット手術依存症になってしまえば、もはや患者ではなく名外科医なのである。

 改めて病気っていったいどんな状態なのだろうと思う。
 国際疾病分類は、国際的な病気の「共通言語」として統計や研究に利用するために必要なものであるが、特に精神疾患の病態というのは捉えどころがなく、つねに、社会との適応の具合によってその診断基準は大きく変わることになる。

 信頼している精神科の教授は、最近は、「うつ病」だとか、「自律神経失調症」だとか安易に診断をつけすぎだという。元気でじっとしていられない落ち着きのない子は、みんな「注意欠陥多動障害(ADHD)」と病気にさせられてしまう。よく同僚たちと冗談半分に話すが、医師の半数近くは、ADHDじゃないかと思う。協調性が無くて落ち着かない医者、とても多いもの。

 何が正常なのか?どこから病的なのか?誰かや何かに必要とされれば病気じゃなくなることってあるのか?無症状の早期がんと、気のせいだといわれても断固として居座る痛みがあることはどちらがより異常なのか?
 ICDの改定が30年ぶりとはかなりのんびりしているように思うが、疾病の分類の是非やその功罪については、また別の機会にじっくり考えてみたい。

参考図書:
スティーブン・ジョンソン著
『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』

 

地と図と病気

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。