「カレー」で世界像を結びなおす【51守・用法1から用法2へ】

2023/05/30(火)08:06
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 私たちが当然と思ってきた男女の区別。その分け方を揺るがすかのようにセクシャリティとジェンダーについての千夜千冊が連打されている。51[守]が開講して3週間。「稽古のモヤモヤを身体に刻み込んでいきたい」「普段使っていない頭を駆使してみるのが編集!?」。間もなく用法2に差しかかる学衆にも、これまでの当たり前への揺らぎがおとづれている。

 

 「カレー」と聞くたびに51[守]指導陣(師範、師範代)が必ず思い出すシーンがある。それは第1回伝習座での用法解説のひとコマだ。「北海道のスープカレーには驚いた」と嬉しそうな苦笑と共に、「まだ未完成」と断って師範の佐藤健太郎が決然とチョークを握った。まず、縦に【単⇔混】という軸を配置した。カレーには、ひとつずつを楽しむ食べ方(単)とスリランカに見られるように複数の味を混ぜながら食べる方法(複)とがあるという。続いて、横に【汁⇔菜】という軸を置いた。カレーには、スープのように飲むタイプ(汁)とおかずのように食べるタイプ(菜)があるという。黒板に描き出された二軸四方を見て、「カレーの理解が深まり、楽しみが増える」と満足気だ。ありきたりな軸ではなく、自分の見方で世界を切り取り、新たな世界像を結ぶ。用法2「つなぐ/かさねる」の編集思考素の醍醐味である。佐藤の事例に一同が驚きと称賛で大きく頷いた。

 

 

 佐藤は、用法2では特に学衆の回答の文脈によくよく注意のカーソルを当てよという。カレーの事例の通り、編集思考素は思考の「整理」以上に「発見」の型であると言われる。が、社会の規範に合わせることに慣れきった私たちのアタマは、ついつい上手く整理ができたかどうかに目を留めがちだ。「回答が宿している情緒に注目せよ」。佐藤が、言葉を変えて再び強調する。情緒とは、学衆が回答プロセスで経験した編集の契機、着火点、フィーリングのことである。そこにこそ彼らが世界像を結びなおすための編集エンジンが潜んでいる。それを取り出さずに指南を済ますわけにはいかない。

 

 「私たちの眼前にある世界は、とっくに分けられ、名づけられ、記述され、関係づけられている」。佐藤の直前に用法1の解説を行なった師範の稲垣景子は、こうレクチャーを締めくくっていた。用法1「わけて/あつめる」は、私たちがどのように世界を捉え、思考しているかを再発見し、もっともらしく見えている当たり前を解き放つ力があるのだ。

 

 用法1の揺らぎから、用法2の結びなおしへ。編集稽古の歩みを進め、学衆たちはどのような自由を獲得するのか。

 

(文:51[守]師範 阿曽祐子)

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。